プラエトーリウム=ソムヌスのお正月(第9話)

§静かな夜

 トントン
「ご主人様,お茶をお持ちしました」
 ノックの音とマージの声。
「ありがとう,マージ」
 ドアを開けるとお盆をもったマージが部屋に入って来る。
「失礼しますね〜」
 ここ数日の間にすっかり恒例となった光景。
 この前,最初にこの館に来たときはそうでもなかったんだけれど,今の時期だと夜は結構冷える。
 それで,夜のこの時間に何かあったかい飲み物を持って来てもらう事にしたんだ。
 半分はマージと二人っきりの時間を作るための口実なんだけど。
 マージが持っているお盆の上には二人分のお茶の用意と,小皿にのったちょっとしたお茶請け〔ちゃうけ〕。
 時間もちょっと遅いから,お茶はリラックスできるようなブレンドの香草茶で,お茶請けも軽いものを少しにしてもらってる。

「何だか……ようやくゆっくりできた気がするなぁ……」
「今日はいろいろとありましたからね〜♪」
 いや,ありましたからね〜って……そのうちの幾つかにはマージもしっかり絡んでるんだけど……。
 ざっと朝からの出来事を思い返してみる。

 朝御飯の前には,普段着慣れていない振り袖(と言うか着物)に関して一騒ぎ。
 朝御飯にしてもお雑煮でまた一騒ぎ。
 午後の追い羽根は……一騒ぎどころか,二騒ぎ,三騒ぎくらいしたような感じがする。
 そして……追い羽根で惨敗して顔中墨だらけになった僕が,フィンさんの勧めでお風呂に入ろうとした時に,マージとエリカが一緒になってここでも一騒ぎ。
 いや,確かにあの時僕はマージとエリカに1回ずつ(一応とは言え)勝っているってことは,つまり,マージとエリカの顔にも墨がついているってこと。
 だから,二人も顔を洗おうとするのは分かるんだけど……。
 何も僕と一緒に入ろうとしなくても……。
 さすがに気恥ずかしくて,僕は後でいいって言ったんだけれど,二人だけじゃなくてフィンさんにまで「ダメですわ♪」と反対されてしまった。
 そればかりかフィンさんには「エリカちゃん,マージちゃん,ご主人様を綺麗に洗って差し上げてね」なんて言われてしまって……3人で風呂場に放り込まれるような格好になってしまったんだ。
 そして……顔を洗うだけのハズが,二人がかりで身体中を普段自分が洗うよりもよっぽど念入りに洗われてしまった。
 二人とも自分の顔の事を後回し,って言うかそっちのけで僕の事を洗おうとしたもんだから,そりゃぁもう大騒ぎ。
 そんなこんなでお風呂を出たときにはもうすっかり暗くなっていた。

「なんて言うか……まぁ,これはこれで楽しいお正月だよね」
「そうですね〜。毎日次々と新しい事があって,とっても楽しいです」
「毎日か……」
 そうだよね。
 12月の終わりから新年までの僅かの間にはイベントが目白押しだ。
 冬休みに入ってすぐにはクリスマス。一息ついたら年越し,お正月。
 考えようによってはクリスマスって言うのはそもそもが宗教的な行事だから,精霊の皆にしてみれば一番縁がないような気もするけれど,単なるお祭騒ぎになっちゃってる日本のクリスマスなら,それはそれでOKだったかもしれない。
「でも,どうせならクリスマスも皆と一緒に過ごしたかったよ」
「私たちもクリスマスまでにはおいでになるものとばかり思ってましたから,とってもさみしかったんですよ〜」
 実は今回は学校とバイトの日程の都合もあって,ここへ来れたのは27日になってからだったんだ。

「でも,その後は毎日楽しい事ばっかりでしたね〜。お飾りとか門松とか,お餅つきとか」
 お茶のカップを両手で抱えるようにしてマージが楽しそうに笑う。
 ヨーロッパ出身の皆にとっては殆ど経験のない『日本の年越し,お正月』。
 僕がまだ両親と一緒にこの館にいたころには幾度かやったらしいけれど,僕がこの館を離れてからは一度もなかった。
 っていう事は,少なくともマージにとっては全てが初めてっていうことだ。
 お飾りや門松なんかにしても根本に宗教的な行事があるのはクリスマスと似たようなものだけれど,こっちも大半が単なる慣習になっちゃってるんだから,やっぱりOKだよね。
「楽しかった?」
「はい,とっても!」

 その後暫くお茶を飲みながらお喋りをしているうちに眠くなって来たので,今日はもう休む事にした。
「片付けはいいの?」
「えっと……明日の朝,早起きしてやります」
 いつもなら一度後片付けをしに戻るんだけれど,今日はこのまま寝たいと言うマージのお願いでそのままベッドに入った。
「おやすみなさい,ご主人様」
「おやすみ,マージ」
 二人で手を繋いで目を閉じる。
「いい夢を」
 昼間の疲れだろうか。マージのその言葉を聞いた後はそれこそ沈み込むようにして眠りに落ちていった。

Das Ende.



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