Szene-Drei.
「おかげさまで助かりましたわ」
後片付けが終わった後,ハーブティーを入れながらフィンはにこやかにそう言った。
マージと共にミラルカもテーブルについている。
『すぐ戻る』と言いおいて着替えにいったマージだったが,身体を洗いにいった浴場でエリカと少々小競り合いを起こしてしまった結果,戻ってきたのはちょうど片付けが終わったところであった。
そのまま,「一休みしましょう」のフィンの声に引き摺られるのは……当番の仕事を他人にやらせてしまったという点で,しかもその相手が相手だけに,少々良心の呵責〔かしゃく〕を覚えたりもするのだが,ミラルカの様子に対する興味もあって,同席する事にした。
いや……それ以前に,フィンに「マージちゃんもご一緒しましょう,ね♪」と言われて,立ち去れていたかどうかは,はなはだ疑問ではあるのだが……。
「で,でも,ミラルカ様にこんな事をさせてしまって……」
「『こんな事』とは言うが……では,何故,お前たちはやっているのだ?」
「そ,それは私たちの仕事ですから」
「仕事……か……」
呟きながら手元に落とした視線を,ミラルカはすぐには上げようともしなかった。
「ミラルカ様?」
この反応に,さすがにこれは何かおかしいとマージも気づいた。
糾との闘いにおいて自ら滅びの道を選び,そして糾の強い想いで甦ったミラルカ。
人の想いを映して精霊は心を宿す。
その世界の理〔ことわり〕からすれば,現在のミラルカが糾の想いの影響を受けていないはずはない。
具体的にどんな影響なのか,細々したものまでは分かるはずもないが,糾の気性から推〔お〕して,また,糾によってこの館に連れて来られてから後の振る舞いを見る限り,(マージ達の基準で言って)悪い方向のものではないと言う事はできるだろう。
だが……今のミラルカから受ける印象は,『糾の想いの影響を受けて変わった』という言葉で終わらせるには,何かがしっくりとは来ない。
「糾は……」
暫くの沈黙の後,ようやくミラルカは口を開いた。
「糾は………前からああなのか?」
「そうですわねぇ……ご両親がご健在の頃と,あまりお変わりはありませんわね」
ミラルカの問いに欠けていた,具体的に『何が』という部分を省略してフィンはそう答えた。
ソレが欠けているという事こそが,欠けた理由であろうことを,フィンは理解していた。
だが,そのままでは何も進展はしない。
だから,一呼吸ほどの間をおいて続ける。
「どんな時でも,誰にでも,とてもお優しくて……」
その言葉に,ミラルカの息が乱れる。
正にそれこそがミラルカが問うたことであり,そもそもそれを問わせた理由でもあるのだ。
フィンの言葉通り,糾は優しい。
館の誰に対しても。
それは各々〔おのおの〕の役割で仕えるフィン達への労〔ねぎら〕いではなく,受けた優しさへの報〔むく〕いでもなく,全ての存在に等しく向けられた無償の愛である。
では……己〔おのれ〕へと向けられたものは,愛〔いつく〕しみか,それとも愛〔いと〕おしみか。
糾を想う自分の心に偽りはない。
だが……だからこそ糾の優しさが不安を煽〔あお〕る。
個々の仕事を果たすフィン達へ向ける笑顔が,このはに向ける笑顔と全く同じである事。
それだけの些細な事が,何故これほどまでに心を乱すのか。
大地を司どる古の精霊である自分の能力が,この場面では直接的には何の解決策ももたらさない事も実はその要因の一つとなってはいたのだが,残念ながらミラルカはそれには気づけてはいなかった。
言えば,この館で生活をしていく上で,自分が(このはと同様に)直接的に目に見える形では何もできていないがために,自分に向けられた糾の愛情が信じられなくなっていたのである。
この時,フィンが同席していた事は……何と評するべきだろうか。
『岡目八目』か,『亀の甲より年の功』か……。
当事者では分からぬ事も,冷静な第三者であれば見えやすい。
そして,感情をもった人間との関わり合いの経験という点において,フィンのそれはミラルカのそれを遥かに凌駕している。
その経験からフィンが導き出した結論は……
「ミラルカ様」
いつもと変わらぬ笑顔で,こう告げた。
「お菓子を作りましょう」