Szene-Vier.

 一体全体,自分は何をやっているのだろう。
 手を動かしながら,ミラルカは今更ながらにそんなことを考えていた。

 右手にはこれまでに経験した事もない奇妙な感覚。
 粉の中にある柔らかな塊を手にすると,僅かな力でそれが形を変える。
 その半面,手にまとわり付くその感覚。
 あまり気持ちよくは思えないものである。

「そうそう,いい感じですわ〜♪」
 軽やかな包丁の音を響かせながら,フィンが声をかける。
 その視線はミラルカに向けられたままでありながら包丁を持つ手が一瞬たりとも止まる事なく作業を続けているのは,付き合っているマージにしてみれば,今更のことではあるのだが,初めて目の当たりにするミラルカにとっては,容易に信じられる光景ではなかった。
 勢い,自分の手元へと目が向く。
 自分には殆ど区別の付かない白い粉を三種類を混ぜ合わせたところへ,氷室〔ひむろ〕から取り出した薄黄色の塊と,トロリとした山吹色のものを少し入れて,全体を手でこねる。
 細かな調整が必要なわけでもない単純な作業であることはミラルカにも分かる。だが,そうであってすら,他所〔よそ〕を向いて口を開くような余裕はない。

「ミラルカ様,塊が残らないようにしてくださいね〜」
 隣で作業をしているマージも自分よりは手間がかかりそうなことをやっているが,それでもこちらを見るくらいの余裕はあるらしい。

 ふと,マージの手元に目をやる。
 見た目の色はかなり濃い茶色だが,今やっている作業自体は自分と似たようなものである。
 見様見真似で,とにかく手を動かしてみる。
 柔らかな手触りを残す塊へ,粉を練り込むように混ぜ合わせる。

 暫く経つと,バラバラだった材料がまとまってきた。
 始めのうちは指や掌にまとわり付いていたものが,ほとんど付かなくなっている。
「まだ,続けるのか?」
「そうですわね。マージちゃん,粉をもう少し足してちょうだいな」
「どのくらい足します?」
 そう尋ね返しながら,マージは薄力粉の袋を引き寄せた。
「片手で軽く一杯くらいでいいですわ」
「このくらい?」
「ええ」
 フィンが頷き返すのを見て,マージは右手のカップに入った薄力粉を,左手の篩〔ふるい〕に移し入れた。
 マージが篩い足した粉をミラルカが混ぜ合わせるようにこねる。
 一まとまりになった材料を小さな器に入れ替えて,氷室で休ませる。これでようやく一段落である。

「続きはお昼を食べてからにしましょう」
 今日のおやつはこれで決まりですわ。と朗らかな笑みを浮かべるフィンに対して,ミラルカは正直なところそれどころではなかった。

 単純作業に時間を取られた自分に対して,同じ時間で遥かに複雑で量も多い仕事をこなしているフィンに対する劣等感もさることながら,マージにも明らかな時間差をつけられたということが,なまじ作業内容が似通っていた分,その差が余計に意識されてしまっていた。
 無論,マージにしてもフィンには及ぶべくもないのだが,それでもこの館に来てからは幾らかなりとも料理の経験を積んでいる分,ミラルカよりは手際が良くなるのは不思議な事ではないのだが……。


「お昼ご飯が出来たらお呼びしますから,ごゆっくりなさっていてくださいな」
 そうフィンに言われて,ようやく解放されたという気分で,ミラルカは厨房を後にした。
 マージはそのまま昼食の用意を手伝うようだ。
 食堂を抜け,玄関ホールまできたところで,ふと糾の事が思い起こされた。

 今,どうしているのだろうか?

 朝食後の何時間かを離れて過ごしただけではあるが,全く初めての経験に対する不安感とがあいまって,実際以上に長時間離れていたように感じられていた。



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