Szene-Fünf.

 昼食後,フィンとフォニームが片付けを終えるのを待って,マージとミラルカは再び厨房へとやってきた。
 朝食後にミラルカの姿が見えなかった事を,実は糾は結構気にはしていたらしい。
 それでも,昼食の時のマージとの断片的な会話の様子から,少なくとも,一人で寂しい思いをしているのではないと察したのか,とりたてて詮索じみたことは何も言ってこなかった。
 マージとフィンの二人から,お菓子作りについては理由も分からないままに口止めされていたミラルカにしてみれば,それはそれで助かるものではあったし,深入りしない糾の優しさを感じられて,嬉しい気分になれたものであった。
 もっとも,その一方で『相手を拘束しない優しさ』というものを実感してしまったが為に,これまでの日々を思い返すだに,自分が糾を拘束しすぎて負担になっているのではないだろうかという心配の種を新たに抱え込んでしまったわけでもあるのだが……。

 ではあったが,のんびりと悩んでいる様な余裕がなかった分,幸いと言えよう。
 作業台の上に冷やした石板を置いて,その上で寝かせた生地を延ばす。
 のだが,さすがに力加減が簡単にはいかない。
 それでも,「手作りなんだから,不揃いでもおかしくないですよ〜」というマージの一言で,必要以上に固くなる事もなく,延ばして,型抜きまで終わらせる事ができた。
 もっともその一方で,同じ形,同じ大きさの物が整然と並んでいるマージの作業台の方は意識して見ないようにしていたが。

 型抜きが終わり,形をある程度整えたものへ,といた卵黄を塗ってから,油を薄く引いた天板に並べてオーブンへ入れる。
 オーブンの大きさの関係上,一度に全てを焼く事ができないので,次の天板を用意しながら焼き上がりを待つ。

 焼き上がりを待つ間に,並行して道具の片付けも済ませていくが,そもそも最初に使った道具類の片付けは,昼食の後片付けの時に一緒に済ませてしまっているので,作業量としては多くはない。つまり……それこそ焼き上がりを待つしかない。
 となれば……勢い口の方が動くのは必然と言うものであろう。


明日は何を作りましょうか♪」
 にこやかなフィンの言葉は,しかし,ミラルカにとっては晴天の霹靂〔へきれき〕であった。
『ようやく終わった』と安堵していたところへ,あたかも明日も作る事が確定であるかのような言い方をされれば,それは無理からぬ事だろう。
「パウンドケーキなんてどうでしょう?」
「聖なる樹〔ブッシュ・ド・ノエル〕なんか,見た目も楽しいですわね♪」
 どう反応していいか分からないミラルカをよそに,二人は次々と洋菓子の名前を挙げていく。
「ミラルカ様,どれがいいですか?」

 ちょっと待て。

 二人の勢いについていけず,その一言すら何故か口に出せないミラルカであった。

「さぁ,そろそろ焼き上がりますわね」
 言葉に詰まっていたミラルカにとって,その言葉は福音だった。
 フィンもマージと一緒になってアレコレ言っていたのだとしても。

 オーブンから天板を引き出し,焼き上がったクッキーを竹で編んだ平たい笊〔ざる〕に広げて,風にさらし,余分な油気を飛ばす。
 フィンの火加減の絶妙さか,焼き色に多少のむらはあるものの,焦げたものや,焼き足りないものは見えない。
 その一方で,用意していた次の天板をオーブンの中に入れる。

「味見なさいます?」
 そのフィンの言葉に,少し躊躇いを見せてから,ミラルカは頷いた。
 純粋に,自分が初めて作った料理の出来栄えというものに興味はある。

 焼き上がったばかりの,温〔ぬく〕いと言うよりも,まだ,熱いソレを一つ手に取る。
 しばらく眺めやって,恐る恐る口に運ぶ。
 予想していたよりも柔らかな歯ごたえ。
 サックリと割れると同時に,香ばしさと,甘い匂いがフワリと口一杯に広がる。

「……」
「いかがですか?」
「美味しい……のかな?」
 後半の言葉に,フィンとマージが二人揃って顔を見合わせた。
 だが,このミラルカの言葉にも無理はない。
 そもそも彼女たち精霊は,その存在自体が世界の一部である。従って,人間のように,生きていくために食事を摂る必要はない。
 その彼女たちが糾と共に食事をしているのは,言ってしまえば糾に付き合っているからに過ぎない。
 そして……糾と結ばれるまで食事というものを全く経験していなかったミラルカにしてみれば,その『味』というもの自体が,まだ良く分かっていないのだ。

 まぁ,だからと言って,このまま黙っているわけにもいかない。フィンはミラルカが作ったクッキーの一つを手に取ると,半分に割った片方をマージに手渡し,それぞれ口に入れた。
「ミラルカ様,美味しいですよ」
「そ,そうか?」
 マージの言葉に,ようやくミラルカの表情も緩んだ。
「ホントですわ。これならご主人様も喜ばれますわ♪」
「!?」
「…ミラルカ様?」

 コレを,糾に?

 そんなことは微塵も考えていなかったミラルカである。
 が,そもそもフィンとしては,その為のお菓子作りであったわけだし,付き合っているマージにしてもそれは同じである。
 この辺り,ヒトとの交わりの経験の差,と言ってしまえばそれまでではあるが……。

「ミラルカ様,そろそろ次が焼けますよ」
 ちょうど,そのタイミングだったのは…………純粋に偶然である。
 だが,その結果として,ミラルカは実質何も言えないままにフィンとマージに急き立て〔せきたて〕られるようにして,少し早い午後のお茶の用意を整えることになった。



前に戻る    次に進む
   目次へ