さまぁ ばけいしょん
〜この夏の(も?)大騒ぎ〜

第3幕:再会

 何とか歩ける程度にまでは回復したこのはを,糾はそのまま館へと同行させることにした。
 それはそれで色々と騒ぎの原因になりそうな気はするものの,現実問題としてここで放り出すわけにもいかない。いくら夏の日が長いとは言え,山がちなこの辺りは,その分だけ日が陰るのも早い。そして,現実問題として,今からバス停まで急いだとして,その後のバス,駅からの列車の接続が保証できない。
 それならば,館で一晩身体を休めて,明日の朝,早目に出た方がまだましであろう。
 昼前から飲まず食わずで山道を歩き回って,疲労困憊していたこのはは,糾が思ったよりもあっさりとそれを了承した。
 そうと決まれば,後は早い。
 館まで後僅かの道を急ぐ。
 いくらも歩かないうちに霧は晴れ,周囲は夏山の様相を取り戻す。
 やがて,懐かしい館が姿を表した。
 その門の傍らに佇〔たたず〕む一人の女性の姿と共に。

 開けた場所ゆえに遮るもののないまま照りつける陽光の中に,森の中を駆ける涼風〔すずかぜ〕に銀髪をなびかせるその姿。
 鮮やかな色彩のその瞳が,その微笑みが紛れもなく自分に向けられているのが分かる。そうであると確信できる。
 愛しい女性〔ひと〕。
 自然,歩みは速くなる。
 抑え切れぬその懐〔おもい〕ゆえに,最後の数歩は邪魔物とばかりに荷物を放り出しての全力疾走で糾は駆け寄った。
 同じく,懐〔おもい〕に衝き動かされる最愛の女性が,満面の笑みで広げた両腕の中へ。

「糾!」
「ミラルカさん!」

 抱き合う直前に互いの名前が呼び交わされる。
 交わされた言葉はそれだけ。
 だが,それだけで二人には充分である。

「はぁ…はぁ……はぁ………。あ,糾さん……急に走り出さないで下さいぃ……」
 実は昼ご飯を食べていなかった(+水も飲まずに山道を歩き回っていた)おかげで疲労困憊し切っているこのはがようやく追い付いて抗議の声を上げたものの……離れ離れになっていた最愛の恋人との再会を数箇月ぶりに果たしたラブラブ(バ)カップルな二人に,そんな外野の声に冷静に耳を傾けるほどの余裕なんかが あるはずもなかった
「糾さ……はわわっっ!!!」
 全く持って反応してくれない糾に改めて抗議の声をあげかけたところで,抱き合って唇を重ね合う二人の横顔を直視することになってしまったこのはであった。

「おかえり。糾」
「ただいま」
 いつまでも抱擁を続けるかに見えた二人であったが,さほどの時間を待たずに離れた。まぁ,実を言えば息が続かなかったと言うだけの話ではあるのだが。
「お帰りなさいませ。ご主人様」
「え?」
 そんなタイミングをうまく見計らって声をかけるなどと言う芸当が,未だに硬直したままのこのはにできるはずはなく…………ならば誰かという事になれば,その静かな口調から言うまでもない。
 糾が放り出したボストンバッグを持ったアメリアが横合いに立っていた。
「あ,アメリアさん…ただいま」
「お帰りなさいませ」
 実は,二人が抱き合うところからしっかりと目撃していたアメリアではあるのだが,二人の仲については館の皆が(つまりは自分も含めて)認めているものである以上,一々目くじらを立てるほど狭量な性分でもない。
「お荷物はこのままお部屋へお運びすればよろしいでしょうか?」
「ぁ……荷物は自分で運ぶからいいよ。それより,このはさんを客間へ案内してあげてくれるかな。疲れてるみたいだし」
「かしこまりました」
 一礼して,アメリアは荷物を糾に渡すと,硬直したままのこのはを抱え上げた。
 そして,手を繋いで玄関へと向かう二人の後に続く。

「ご主人サマ! おかえりなさいですにゃぁ〜〜!!」
 玄関ホールへ一歩足を踏み入れるが早いか,甲高い声と共にライトブラウンと金色の塊が目の前に飛び込んで来た。
 正しくは,エリカが 抱きついて 来たのであるが,糾の目に映った光景を印象のままに描写すればそうなる。
「こ,こら!」
 自分の恋人が目の前で他の女に抱きつかれて嬉しいはずはない。
「…ただいま。エリカ」
 もちろん,エリカには悪意はない。自分自身の感情の赴くままに大好きなご主人サマへの親愛の情を示しているだけのことである。
 ただ……その親愛の情を周囲の様相構わずに示そうとするために,騒ぎが起きているのも事実である。
 ついでに言えば,良く言えば博愛主義,悪く言えば恋人のそんな心情に気づかない糾のニブさも騒ぎの原因ではあるのだが,当人はそれには全く気づいていない為に,騒ぎの回数はなかなかに減らない。
 が,今回はそこまでいくよりも早く,別の方向から割り込みがかかった。

「いーかげんにしときなさいよ。あんたも」
 階段の踊り場からフォニームが冷ややかな目つきで見下ろしていた。
 右手に雑巾が握られているところを見ると,掃除の最中だったらしい。
「ただいま,フォニーム」
 ようやくエリカを下ろした糾がそのままフォニームに声をかける。
 この時点で,糾はフォニームからの一言が嫌みの類いであることなど全く気づいていない。
 そんなすれ違いな二人にとって救いであったことは,開け放たれたドアから続く厨房でフィンとマージが夕食の支度をしていたことである。

「まぁまぁ,ご主人様。お帰りなさいませ」
「お帰りなさい。ご主人様!」
 さすがにミラルカの 目の前では 糾に抱きつかない程度には自制している二人である。
「あら。このはちゃんもご一緒でしたか」
 この辺りの目ざとさもさすがと言うべきか。
「あ,うん。また山の中で道に迷ってたんだ」
 山の中で迷っていたのは事実である。そもそもが行き先を間違えたのだとしても。
「あら,まぁ(笑)。ではアメリアちゃん,このはちゃんをお願いしますわね」
「分かった」
「ご主人様はお部屋でお寛ぎ下さいな。お食事の用意ができましたらお呼びしますわ」
 人数が揃ってくると,やはりフィンが全体を仕切ることになる。
 この館の個性的(過ぎる?)メイドたちを束ねるメイド長なのは伊達ではない。
「うん。それじゃお願いするよ」
 そう言い置いて,糾は二階の部屋へと向かった。
 当然のようにミラルカがその側に続く。

「くすっ」
「まぁまぁ」
 二人の姿が視界から消えてしばらくして,誰からともなく苦笑気味な笑みが洩れる。
 それほどまでに,糾との再会を果たしたミラルカの表情は,今朝方までの暗さとは掛け離れていたのである。


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