さまぁ ばけいしょん
〜この夏の(も?)大騒ぎ〜

第5幕:水辺のバカンス(ミラルカ)

「うわぁ〜〜〜」
「うふふ…。いかがですか,ご主人様」
 館から山道をあるくこと暫し。
 普段は足を踏み入れる人影もない山間〔やまあい〕の湖。
 だが,この日は天空に煌めく陽の光と同じくらいの騒がしさが,その畔〔ほとり〕にあった。
 澄んだ湖水は雲一つない抜けるような天空〔そら〕の蒼〔あお〕さと山々の碧〔みどり〕を映し,吹き渡る風が起こすさざ波の色をアクセントに加えた不可思議な色合いを見せている。
 それはまるでお伽話の一幕のような光景。
 だが,それは紛れもなく現実の光景であった。
「こんな凄いところがあったんだ」
 初めて目にする光景に圧倒され,暫く眺めやってからようやく糾はそう感想を口にした。
 しかし,見ているだけではわざわざここまでやって来たかいがない。
 手分けをして持ってきたパラソルやビーチマットなどを広げ,何本かのポールを立ててその周囲に幕を巡らせて即席の更衣室を作り上げる。

「覗いたらタダじゃすまさないからね!」
 というフォニームの一言を残して,女性陣はその中へ消えた。
 待っている間に糾も手早く更衣をすませる。
 こういう時は男は楽でよい。
 一方で,さすがに普段の完全装備なメイド服からの着替えには時間が掛るだろうと糾は予想していたのであるが,それは甘い。せっかくの『ご主人様とのバカンス』である。着替えなどという無駄なことに時間を浪費するような彼女たちではなかった。
「お……おまたせ」
 さほど待つほどの事もなく姿を表す。
「ごっ主人サマ〜!」
「お待たせいたしましたわ」
「うわぁ〜〜……」
 その声に振り返った瞬間,思わず感嘆の息が洩れる。
 確かにデパートでは知人に丸め込まれるような形になってはしまったものの,だからと言ってデザインの選定まで丸投げしたわけではない。
 ちゃんと糾なりに似合いそうなものを選んだつもりはある。
 が,ハンガーに掛っている,あるいはマネキンやトルソーで展示されている状態からのイメージは,実物に遥かに及ばない。

 大輪の花(おそらくモチーフはハイビスカス)が右前面に白抜きで並んでいる鮮やかなグリーンのワンピース(同色,同じデザインのパレオ付き)のミラルカ。さすがに,普段アクセサリー代わりにしている薔薇の花は外してある。

 濃い目のオレンジ〜黄色の不規則なチェック柄をバイアスに使ったホルターネックのワンピースはマージ。実はブルー系の配色とどちらにしようか悩みどころではあったのだが,予想以上にいい感じである。

 基本的には赤ワインのような色ながら,見る角度や光の具合で様々に変化してみえる不思議な色合いの生地で仕立てたAラインワンピースがエリカ。

 ほぼ無地に近いダークブルー,ただし,右胸から肩紐にかけての部分はライトブルーというシンプルなデザインのワンピースに身を包んだアメリア。

 鮮やかなコラールピンクの地に細い白いラインが幾つも横に走っているワンピースはフォニームのもの。両サイドの黒いラインがいいアクセントになっている。

 ネイビーブルーの地に,薄い水色でエスニック調のリーフ柄が全面に描き込まれているのがフィンのワンピース。こちらも同じデザインのパレオを纏っている。

「うん。皆,似合ってるよ」
 遮るもののない夏の日差しに照らされて,白い肌はますます輝いてすら見える。
 そして,水着の鮮やかな色合いはますます鮮やかに,濃い色合いはそのコントラストをより強調して見える。
「ま,悪くないデザインよね」
「ミラルカ様も素敵ですよ〜」
「フィンさんのも変わってておもしろいにゃ」
「動きを阻害しないよいデザインかと」
 皆もそれぞれにお互いの水着のデザインを評し合っているが,糾の選択がよかったのか,批判的な意見はない。
 ちなみに,波打ち際がすぐそこという事もあって,皆素足である。

「さぁ〜て,泳ぐわよ〜〜!!」
 夏,水辺,水着,と揃いまくったシチュエーションに,全員のテンションが低いはずはない。いや,ハッキリと高い。
 寡黙なアメリアですら,それとわかる。
 のだが……何故かミラルカだけがその勢いから取り残されている。……ように糾には感じられた。
「ミラルカさん?」
「さぁさ,まいりますわよ」
 糾が動くよりも先にフィンがその手を取る。
「え?」
「ミラルカさん」
 言いながら糾が反対の手をとる。
「行きましょう。ご主人様」
 一方で,空いている糾の腕をマージが胸元に抱え込む。
「わわっ,ちょっ,マージ!」
 向き出しの二の腕に,水着越しとは言えマージの胸が押し付けられる感覚に戸惑う間に手を繋いだミラルカともどもマージに汀〔みぎわ〕まで引き摺られるような形になっていた。
「ちょっ! 糾…手を…」
 妙に焦った口調のミラルカに何か応〔こた〕えるよりも早く……
「ごっ主人サマ〜〜!!」
 いつもながらのハイトーンな声と共に,エリカが勢いよく背中へとダイブしてきた。
「!」
 瞬間,背中に感じる柔らかな膨らみ。
 ただでさえマージに引きずられ気味だったのに加えて,それに気を取られた糾が,抱きついて来たエリカの勢いを受け止め切れるはずはなく,その勢いのままに水に飛び込むこととなった。
「うわわっ!」
「んにゃぁっ!!」
「きゃあぁっっ!!!」
 そうなると……糾の腕を抱え込んでいたマージ,糾に腕を引っ張られていたミラルカもその巻き添えを喰っていることは言うまでもない。
 ミラルカの腕を反対側から引っ張っていたフィンが一人だけ無事なことも……言うまでもないだろう。
 それでも,倒れ込んだ場所は,水深が膝までもないような浅瀬である。ちょっと落ち着きさえすれば何という事はない。
 落ち着いてさえいれば。

「ぃやっ!…あ…糾ぁ……!」
「ミラルカさんっ!?」
「ミラルカ様?」
「んにゃ?」
「!!」
 その場の誰もが呆気に取られるほどに,ミラルカは取り乱していた。
 どちらかと言えば,先ほどまでは振りほどこうとしていた糾の手を渾身の力で握り締め,四肢をばたつかせながら全身ですがりつく。
「ミラルカさん,大丈夫。大丈夫だから」
 ばたつく四肢を掻い潜るようにしてその身体を抱きしめ,名を呼ぶ。
 幸いな事に,幾度も呼ぶこともなく全身の強ばりが緩んでいく。
「落ち着いた?」
 それから更に数拍の間を置いてから,糾はそう声をかけた。
「あ……糾……」
 柔らかな声音が応える。
 もう大丈夫。そう判断して,前屈みの姿勢を伸ばす。
 それに引き起こされて,ようやくミラルカは周囲を見回すことができた。
 膝にも届かぬほどの水。
 その中に立つ自分の姿をようやく認識する。

「……ごめんなさいですにゃ」
 すっかりしょげ返ったエリカが頭を下げる。
 だが,ミラルカは糾の腕に抱かれたまま応えようとする素振りすら見せない。
 よほどに機嫌を損ねてしまったのだろうか。
 周囲の表情が強ばりかけたところ,不意に糾の手が上がった。
 掌をこちらに向けて,まるで押しとどめるかのようなその仕草。
『ご主人様?』
 どうしたのかと傍らのマージが目線で問い掛けてくる。
 が,どう答えたものか。ふと口を開くのが躊躇われる。
 腕の中のミラルカの身体は今も小刻みに震えている。脅えて。
 その瞳は先刻から周囲の水をしか見ていない。
 いや,目を離せないのだ。
 ミラルカ自身が水への恐怖に捉えられているために。
 正確には,水の中に入るという未知の経験への恐怖に。

「大丈夫だよ。誰だって初めてはあるんだから」
 糾としては慎重に選んだつもりのその言葉に息を潜めるようにして成り行きを見守っていた皆の表情が惚けたようなものに変わる。
「にゃ?」
「……」
初めて?
 予想外。
 全員の顔に浮かんだ表情を見る限り,満場一致のようである。
 だが,よくよく考えてみれば,ミラルカにこれまで「水泳」は言うまでもなく,「水遊び」の経験すらあるはずがない。
 そもそも,ミラルカは万物の素なる四大の一,大地の精霊である。
 であればこそ,自らと同じく万物の素なる四大の一,水の領域の中に踏み込む必然などあるはずはないのだから。

「ご心配には及びませんわ」
 どう反応したものか。
 そんな困惑に止まったその場の雰囲気を打ち破ったのは,フィンの一言だった。
「色々と取りそろえておりますわ。お好きな物をお使い下さいませ」
 言いながらバッグから取り出されたのは……
 直径が40〜50センチ程のビーチボール,ビート板,エアーマットと……浮き輪。
「………………」
 イヤ,何かが違う……。
 そんな気がしつつも,口には出せない糾だった。



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