さまぁ ばけいしょん
〜この夏の(も?)大騒ぎ〜

第7幕:水辺のバカンス(アメリア)

 この小休止は,考えようによってはヒートアップした気持ちを落ち着かせるのに有効だったとも言える。
 慣れないことをしたミラルカは,もう少し休むという事だったので,糾は少し独りで泳ぐことにした。
 水泳選手や海人〔あま〕,海女のように泳ぎに長けていると言うわけではないが,タイムを言わなければ,50mプールを泳ぎ切るくらいはなんとかできる。
 幸いな事にこの湖の水深はそれほど深くはなさそうだから,足がつったりとかしなければ,大丈夫だろう。
 そう判断して,糾はのんびりとしたペースで泳ぎ出した。
 念の為にビート板を抱えて。

 100%混じりけなしの天然水,つまり,消毒の塩素なんてカケラも入ってないので,目を開ける分にも問題はない。
 さすがにある程度水辺から離れると,湖の大きさ相応にそれなりの深さがある。
 岸の近くはほとんど砂地だが,時に滑らかな,時には粗い岩場もあれば,水草や沈木も見える。
 そして,澄んだ水を通して差し込む日の光に銀鱗を煌めかせる大小の魚たち。
 その光景に惹かれた糾は,息を吸い込むとビート板から手を離して身体を水の中へと沈み込ませた。
 水の高い透明度ならではの存在の希薄さが,水底の風景をより不可思議なものに見せる。
 害意のなさを知ってか知らずか,遠からず近からずの距離を横切る魚たちは,水中を泳ぐと言うよりも不思議な術で中空を漂うかのように見える。
 砂地から湧き上がる水に,まるでそこだけが不動の大地であることを忘れたかのように砂が陽気に踊る。
 深緑の水草があるかなしかの流れとも感じられぬ水の揺らぎのままにたゆたう。

 どこか,非現実を感じさせる景色が広がっている。

 陸上では在りえない,あの岩影の向こうに揺らめく紫色の茂み……

『紫色?』

 さすがに激しい違和感を覚えて,そちらへ向かおうと身体の向きを変える。
 ほぼ同時に,岩影の向こうからアメリアが姿を現した。
 水底を歩いて

 人間の身体って基本的に水に浮くものでは……。とか,
 人形の精霊って,やっぱり比重が人間と違うのかな……。とか……。
余りに予想外の結果に,ついついそんな余計なことを考えていた糾は,唐突に息苦しさを覚えた。
「あれ?」
 思わず洩れた声は明瞭には聞こえず,口を開いた拍子に吐き出された呼気が泡となって目の前を昇っていくのを目にしてようやく自分の状況を思い出す。
 慌てて大きく水をかいて水面に飛び出す。
 幸いな事に,ビート板が数メートル先に浮かんでいたのでそこまで辿りついてから一息をつく。
「ご主人様!」
 僅かに遅れて,いきなり大きな水しぶきと共にアメリアが水上に姿を現す。
 どうやってそんな物を持って潜っていたのか,1メートルほどの長さの浮き(直径は20センチほど)に捕まってバランスを取っている。
「いかがなさいました?」
 糾が大慌てで浮き上がったのを見て,何か変事があったと察したらしい。だが,当然ながら水底を歩いていた自分の姿に驚いたのだとは微塵も思っていない。
 さすがにそれをズバリ言うのは気が引けるので,程々に濁すことにする。
「あんまり水の中が綺麗で,見とれちゃっててさ……。息をするのも忘れるって,比喩じゃなくってホントにあるんだね。息をするの,忘れちゃってたよ」
「……」
 さすがに呆気に取られたのか,すぐには反応が返ってこない。
 が,何とか誤魔化せたかと安堵しかけたところで,予想以上の反応が返って来た。
「申し訳ありません。これをお渡しするのを忘れていました」
 言いながら,首から下げていた何やら訳の分からないそれを片手で器用に取り外して差し出す。
 500ミリリットルのペットボトル程の金属製の筒と,それよりは少し小振りな長方形の箱。顔の下半分を覆うような形状のマスクもどき。それらを繋ぐホース。
 かなり仰々しい。
「何,これ?」
「米軍制式採用の閉鎖循環型潜水装具です。5時間ほどは保つはずですので,時間的には問題ないと思われます」
「……」
 ナゼにそんな軍用品がここにあるのか……それは決して触れてはいけないことのような気がした。
 さすがにそれは仰々し過ぎるし,なによりそんなに長時間水の中に潜っているだけなのもつまらないので,それは遠慮することにした。



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