さまぁ ばけいしょん
〜この夏の(も?)大騒ぎ〜

第8幕:水辺のバカンス(フィン,フォニーム)

 暫くのんびりと泳いでから,糾は湖から上がって来た。
 そう激しい運動したと言うつもりもないのだが,水泳というのは意外と体力を使うようで,結構だるい感じがする。
「お帰りなさいませ」
 戻って来た糾を,フィンが出迎えた。
 砂地に広げたシートの上には今はフィンしかいない。
 ミラルカやマージは目を覚ましたエリカと一緒に,少し離れたところでビーチボールを投げ合ったり,水を掛け合ったりして楽しそうな歓声を上げている。
 フォニームは何やら浅いところでやっているようだし,アメリアの姿が見えないところを見ると,まだ水中に居るのだろう。

「ご主人様,堪能されましたか?」
「うん。たっぷりと」
 答えながら座る糾にタオルを差し出し,顔の回りをざっと拭くのを待ってから,ドリンクの入ったコップを手渡す。
 渡されて初めて糾は喉が乾いていることに気がついた。
 ずっと水の中にいたのに?
「水の中でも運動をすれば汗はかくんですのよ」
 そんな疑問を見透かしたかのようにフィンが微笑む。
 まぁ,そんな理屈はともかくとして,喉の乾きは事実なので素直にコップを受け取った。
 程よく冷えた果汁の酸味と甘みが口に広がる。
「お代わりはいかがですか?」
「ん〜〜〜〜」
 確かに,程よい果汁の心地好さは魅力的ではある。が……
「やっぱりいいです」
「あら……お口にあいませんでしたか?」
 その言葉にフィンの表情が曇る。
「え……えっと,そうじゃなくってさ……」
 素直,あるいは純朴という表現がよく似合う糾は,ハッキリ言ってこの表情に弱い
 これまで幾度となくイタズラをされていながら,毎回引っ掛かってしまうのだが,だからと言って人間の性格というものはそうそう簡単に変えられるようなものではないし,なにより,糾自身に変えるつもりはない。
「美味しいんだけど,冷たいものを飲み過ぎてお腹を壊してもいけないからね」
 一人暮らしをしていると,やはり体調管理には気を使う。
 糾としては当たり前の事だったのだが,フィンにとってはそうではなかった。
「まぁまぁ,ご主人様」
 その言葉と共に,糾はフィンの胸の中に抱きしめられていた。
「大丈夫ですわ。ご心配なさらなくても,私達が看病して差し上げますから」
 ですから安心してお腹を壊してくださいな。
 聞こえるはずのない,そんな声が聞こえたような気がした。
「ちょっ…!…あの!」
 さすがに糾が声を上げるが,それであっさりと放すくらいであれば,フィンにしても最初からこんな真似はしていない。
 普段のメイド服とは全く違う水着ゆえに強調された感のある胸の膨らみと,布地越しに感じられる,弾力のある,それでいて柔らかな感触に糾は慌てふためいている。
 ミラルカ一筋の糾には浮気をするつもりなど全くないのだが,そんな気持ちを知ってか知らずか,館の皆の糾に対する接し方はまさに『ベタ甘』の一言に尽きる。
 一人前の男としてよりも,幼子であるかのように大事に,過保護に,溺愛している。
 さすがにミラルカの目の前でハデなことはしないにしても,隙あらば抱きついたり(つまりは,胸を押しつけたり),昼寝をしていればいつの間にか膝枕をしていたり,逆に糾の膝枕で寝ていたりと,枚挙に暇がない。

「フィンさんってばぁ!」
 そんな声すらも彼女たちの『ご主人様(はぁと)』な感情を煽るだけである。
 糾にとって不幸だったことは,ミラルカたちだけではなく,アメリアもまた少々離れたところに居たことである。ミラルカやマージが近くに居たのであれば,すぐにでもフィンから引き剥がしていたであろう。それはアメリアであっても糾の意志をフィンのそれよりも優先させると言う点では同じである。
 ……エリカの場合は「フィンさんだけズルイにゃ〜!」とか言って,一緒になって抱きついてくるかもしれないが。
 そして……フォニームが程々の場所に居たのは……幸か不幸か……。
こぉらぁ〜〜〜〜っ!!! 何してんのよ,あんたわぁ!!!
 さすがにフィンに抱きしめられている状況下では,後ろから不意打ちで飛び蹴りを喰らわせるとか,手近な物を投げつけるとかはしてこないが,そう言った怒りの咄嗟の捌け口がない分,その声にはかなりの怒りが込められている。
『こ……怖いかも……』
 正面を向いて抱きしめられている糾は背後に立っているフォニームの表情を見ることはできない。が……その声からするとその怒りのすさまじさは……考えたくないレベルに達してしまっているらしい。
「早く離れなさいよ!!」
 すぐに離れようとしない糾によけい苛立ったのか,有無を言わせずにフィンから引き剥がす。
「あぁん,ファムちゃんったら」
 残念そうなフィンの声に関しては,二人とも取り敢えず黙殺した。と言うより,お互いそれどころではない。
「あんたってば……ミラルカがいるってのに……」
 肩で粗い息をつきながらだから言葉はどうしても途切れがちになるが,それでもその意は十分過ぎるほどに伝わって来る。
「あたしのマムに……何……」
「まぁまぁファムちゃん」
 その様は,まさに手品か魔法かというほど鮮やかな変化だった。
 フォニームの顔を2本の白い繊手〔せんしゅ〕がふわりと包み込んだ瞬間,般若もかくやと言う怒りの形相は霧散し,困惑がそれに取って代わる。
 フィンはそのまま背後から胸の中にきゅっと抱きしめる。
「大丈夫。ファムちゃんだってずぅっと,だっこしてあげますからね」
「ちょっと,マム……」
 さすがにフィンに抱きしめられていてはフォニームも何もできるはずはなく……結局この件はうやむやのままに終わってしまった。



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