糾が風邪を引いたら
§その3
眠りから目覚めて最初に目に映ったその光景を,その瞬間,糾は理解できなかった。
「もう昼だぞ」
フィンやマージのような柔らかさとも,アメリアのような怜悧さとも違う。一歩間違えば高みから見下ろす尊大さを思わせる言葉は,しかし紛れもない糾への想いに満ちた,最愛の恋人の唇が紡ぎ出したものに間違いはない。
のだが……その恋人の装いは,予想外どころか,夢にも思わなかったものだった。
「ミ…ミラルカさん…」
「…何だ?」
「…どうしたの……それ?」
その余りのインパクトに,何かあったのか,などと考えるよりも先にその問い掛けが口をついてでた。
マージやエリカと同じデザインのメイド服。
似合うか似合わないかで言えば……意外(と言うと悪いなとは思いながらも)ではあるが,かなり似合っている。
おまけに,そのメイド服を身につけることに対するミラルカ自身の幾ばくかの抵抗感ゆえの恥じらうような表情は……まぁ,ぶっちゃけた話,「カワイイ」としか思えなかったわけで……。
念の為に付け加えて言えば,糾は普段のドレス姿に不満を感じているわけではない。
もともとファッションには大したこだわりをもっていない上に,この館の住人たちは全員が毎日同じ服装で過ごしているので(湖に遊びに行ったときの水着は例外として),ドレス姿しか見ていなくても別段なんとも思っていなかったというのもある。
が,それだけにこの不意打ちのメイド服のインパクトは並ではなかった。
いや,もう,それこそ風邪の気配なんぞは何処へ吹き飛んだかと言うくらいに(笑)
一方で,正直を言えば服装については触れてほしくはなかったミラルカではある。
実を言えば,食事を作る間はともかくとして,作り終わった段階で着替えるつもりだったのだが,フィンにあれやこれやと指示されながら動いているうちに,着替えるタイミングを逃してしまっていた。
無論,フィンがそれを狙ってやったなどとはミラルカが想像できているハズもない。
仮に気付いたとしても対処できたかどうかは疑問ではあるが……。
さすがにその恥ずかしげなミラルカの表情を見て失言を悟った糾だったが,そこで即座に完璧なフォローを要求するのはちょっとばかり酷と言えよう。
が,世の中何が幸いするか分からない。
サイドテーブルにおかれた食器から広がる匂いに刺激され,糾の身体が空腹を声高に主張した。
「あ……」
「……」
その言い難い沈黙はどれほどの間だったか。
どちらからともなく微苦笑が洩れる。
「食べよっか」
「うん」
糾はベッドの上に上半身を起こして,ミラルカはテーブルの脇に椅子を寄せての昼食となった。
病人の看護ともなれば,『吹いて冷ましたお粥を食べさせる』のがラブラブ(バ)カップルのお約束イベントなのだが……風邪を引いたとはいえ症状は軽く,また午前中一杯静養したおかげでほとんど回復している糾は,食べさせてもらわなければならないような状況ではない。そもそも看病側のミラルカがそのお約束を知らないのでは,イベントフラグが立つはずもない。
いや,糾としては,もしされたらどうしよう。と,チラとは思ったのであるが,ミラルカがそんな素振りも見せないので,ホッとした反面,残念に思ってしまったのも事実ではある。
風邪を口実に甘えてみたいとは思うが,やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
そんな中途半端な考えを降り払うようにお粥を口に運ぶ。
「あ,おいしい」
基本的な味付けは塩だけだが,それだけに芋の香りと甘みが損なわれることなく口一杯に広がっていく。
「よかった」
嬉しそうな糾の表情を見て,ようやくミラルカも安心できた。
調理そのものはフィンがその都度指示を出してくれていたし,昼食の手伝い当番であったマージやエリカもフォローをしてくれていたわけではある。が,自分の腕前がどうかという事になると……お菓子関係についてはそれなりの自信は持ててもいるが,一般の料理となると,今一つ,というのが正直なところである。
それだけに,不安は小さくはない。
そして何より,「糾がおいしいと感じてくれるだろうか」という懸念がある。
とは言え,糾にしてもそうそう贅沢な味覚をしているわけではない。なにより,恋人の手料理ともなれば,それだけで糾にとっては美味以外のなにものでもない。
暫くぶりに感じる穏やかな空気の中で,思いもかけず訪れた最愛の恋人との二人きりの時間を,糾もミラルカものんびりと過ごすことに決めていた。
fine.