憂鬱な日

第2幕:糾の帰宅

 トントン−
「ミラルカさん」
 糾が館へ帰って来たのは陽が西に傾き掛けた頃だった。
 出迎えたフィンとマージにミラルカが体調を崩して客間で休んでいると聞かされて,他の事は後回しにして真っ先に客間へと足を向けていた。
 そこで,アメリアがドアを開いて招き入れてくれるという状況は予想外であったものの,そのアメリアから取り敢えずの状況−今し方軽く食事が終わったとか,食欲は問題ないとかを聞く事ができたのは安心材料ではあった。

 アメリアが下がると,当然ながら部屋の中はミラルカと糾の二人だけになる。
「大丈夫?」
 ベッドサイドの椅子に腰を下ろしながら糾はそう声をかけた。
 取り敢えず調子は悪いものではない,ということは今し方アメリアから伝えられたばかりではあるが,「調子が悪くない」のと「本人が大丈夫」なのとは必ずしも同じではあるまい。
「ぅん………悪くはない」
 確かに口調はしっかりとしているし,無理をしているようにも見えない。
 その返事を聞いて,ようやく糾は一息着くことができた。
 無論,この館の面々であれば(特にフィンが居れば),たいていの事柄には問題なく対処してくれるであろうと信頼はしているが,それでも最愛の女性のこととなると,心理的にも違って来る。
 欲を言えば,どういう事態なのかちゃんと聞きたいところではあるのだが,簡単に言える程度のことであればそもそもフィンが伝えてくれているだろう。そうでない以上,さすがにそれは性急だろうと自制心を働かせる程度の余裕はあったが。
「ん……」
 それでも,そんな余裕もミラルカが小さく声を上げて身体を屈〔かが〕めるまでのことだった。
「大丈夫?」
 声をかけながら腹部へと手を伸ばす。
 事情が分からなくとも,何かを抱えこむようにして身体を丸めていれば,腹部辺りの痛みではないかと見当を付けるのは難しいことではない。
 そして……「手当て」という言葉は伊達ではない。手(掌)を患部に当てることには,理屈ではない癒しの力があるのだ。
 それは,精霊王としての能力でもなく,純粋に相手への懐〔おもい〕がもたらす力。

 痛みに気をとられ,一瞬,糾が何をしているのか分からなかった。
 それでも,現実に痛みが和らいでいく。
 そうして糾の手が下腹部に添えられていることに気付いた。
 癒しの力を行使しているのではないことは分かる。
 であるにも関わらず,確かに痛みは和らぎ,そればかりか温もりすら感じさせる。
「この辺り?」
「…もう少し下…」
 これまでに何度となく愛を交わし合い,自分の存在の全ては糾のものと公言して憚〔はばか〕らないミラルカではあるが,この時,寝間着の上から手を添えられる,ただそれだけの事が奇妙に恥ずかしく感じられた。
 だからと言って,糾の手を拒むという選択肢はミラルカの中には存在しない。痛みが和らぐという実利的なこと以上に,暫くぶりの最愛の男性〔ひと〕との触れ合いを,どうして自分から拒む理由があるだろうか。

 二人きりのそんな時間は,夕食を前にしてマージがミラルカの様子を見に来るまで続いた。
 その時点でほぼ痛みも収まり,精神的にもかなり回復したミラルカは平常通り皆とともに食堂で夕食を摂ることにした。



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