大山紅葉



標高 1711m    難易度 ☆☆     登り80分 下り90分   鳥取県
倉敷からの距離   154Km        登頂日 ’95/10/28   ガイドブック 

大山寺→80山頂→90大山寺

登山
 大山(1711)は中国地方の最高峰であり大山隠岐国立公園の中心である。中国地方では、深田久弥の日本百名山に選ばれた唯一の山である。

 高尾山が故郷の思い出を包んだ山とすれば、大山は第二の故郷である、倉敷の思い出を沢山持つ山である。

 さすが大山である、紅葉真っ盛りと、時期も良くすごいにぎわい。登山者が行列をなし、登っている。道幅は結構広いので、マイペースで、どんどん追い抜きながら登頂。花にも期待していたが、時期が悪いのか花らしいものはほとんど見られない、しかし、ブナの紅葉が目をうばい、ナナカマドの赤い実が目を惹きつける、頂上まで1時間20分と休憩なしで登頂、(ガイドブック2時間10分、登山口には3時間と記載有り 休憩を入れてゆっくり行けばその程度かかるか?)

 頂上は鈴なりの人で、木道が広く頂上を覆っており、そこで休憩、食事をとる。山頂から左手に道をとり、弥山三角点に。眺望が素晴らしい、剣ヶ峰の勇姿をカメラにおさめる、これより先危険との掲示があり、引き返す(先にゆく人も幾組か見えたが)

下山
 混雑を避けダイセンキャラボクの純林に道をとる。赤い実をつけており可愛らしい。八合目から合流し混雑の中をかいくぐるようにして、飛び降りる。足元がしっかりしているので、飛び降りる方が楽である。18年前はとても出来なかった事である。元谷に行くコースをとる。人が急にいなくなり、紅葉は素晴らしくなり、楽園に迷い込んだ錯覚になる。太陽の光の加減で、微妙な美しさが表現される。変化に富んだ多彩な美しさを表現してくれる自然の素晴らしさにただ驚くばかり、ブナの木も美しい、どれだけ写真をとったろうか? 元谷コースは十数年前は荒れていて、通行禁止であった記憶がある。今回初めての経験。紅葉の素晴らしさに加うるに、元谷自体の美しさも賞賛して良い。あまり人が通らないのももっと良い。下山したとき、一緒になり結構話しをした人、名古屋から夜行で来た由、あちこち行っているとの事で、紅葉についても結構うるさい事を言っていた。

 天神山神社や大山寺、金門など、昔懐かしい大山寺周辺を散策し駐車場へ。下山にはなんと1時間30分を消費していた。あちこち散策したのであまり参考にならないかも


アプローチ
 国道180号から313号にとり、北房インターから米子自動車道の溝の口へ。高梁を過ぎると霧が出てきて、先が心配になる。中国自動車道も速度規制は無いものの霧走行注意、フォグランプ点灯のサインが出ている、山はこれでは大変かな?と心配しながら、走行。ところが、トンネルを抜けるとそこは雪だったではなく、雲一つない、青空。霧がすっかり晴れて山がくっきりと浮かぶ、最高の天気。山が色づいているのも見える、嬉しさで口笛が出る。

 溝の口から桝水が原を経由し大山登山口へ。大山ではどこに駐車しようかと、ルートを想定しながら考えていたが、すでに一杯、駐車出来るところは大山寺の大駐車場のみであった。(下山してきたときはそこも一杯で駐車場が無い状態であった) そこに駐車し登山の準備に


 帰路は大山循環道を通り、蒜山に抜ける道をとる。

 一の沢、二の沢、三の沢と沢場があり、その景観が素晴らしい。一の沢では駐車出来なかったが、他は隙間を見つけて車を止め、景観をカメラに。大山の崩壊した姿と、沢の脇に紅葉した木々とが、太陽の光線の助けを受けて、実に素晴らしい景観を作ってくれた。

 大山循環道自体も紅葉で彩られた、木々の間を走行する、太陽の光を通して映し出される、あでやかな美しさにただ酔うばかりである。錦織りなす・・・という歌の文句が口に出る。鳥が山の景観も楽しむ事が出来た。

 蒜山では皆が山や、上蒜山など、すでに登山した山に再度出会い、色付いた山肌を遠くから眺める。

 ここまで、来ると昔のルートが懐かしくなり、米子自動車道をとらずに国道313号をとる。湯原温泉の手前の熊居峠はトンネルが出来たり、温泉街をバイパスする道が出来たり、随分と変わっていた。舗装もされていなかった峠道を越えて来た当時が懐かしい。 湯原を過ぎると櫃ヶ山が見える、この山も登った事がある、随分となじみが出来たと、旭川の渓流を楽しみながら、落合に、そこから県道30号をとり429に入り倉敷へ。倉敷はすごい車の量、これまでの快適なドライブから一転、渋滞。されど距離は知れたもの、無事家に着きました。


思い出

 大山には登山以外にもスキーやドライブに何度も訪ねた。登山も今回を加え5度目になった。

 最初は1977年家族6名での登山、一番下の息子達が5才の時、チョコチョコと這うようにして頂上までたどり着いたパワーにびっくり。私は体重が今よりずっとあり、ハーハー言いながら、また、下山では膝にきて、駐車場までの道が長かった事など思い出される。今でも懐かしい思い出である。

 翌年も続けて登山、大
山高原ホテルが健保の旅館として契約があり、それを利用して、夏休みの家族旅行。登山しようと、大山に着いたら生憎の雨、しょうがないと、米子の市内にゆき映画館を探し、見たのが「あしたのジョー」、映画の話が出るとこの事が思い出される。翌日登山。 子供達から、山より海にゆきたいとの事からそれ以降は浜坂などの民宿を利用した海水浴を中心としたプログラムに変更。

 1981年三度目の登山、夏休みの宿題に大山の植物を観察するという誰からとなく出た意見、頂上は今の木道ではなく、自由に歩き回れた。ここにも、こっちにもと子供達は小さな花を見つけ、カメラマン?の私が撮りまくる。出来た写真はどう整理したのだろう?家内があれこれ探して調べていたように記憶しているが?

 家族旅行は子供が中学生までがいいところ、家計が苦しいかも知れないが、思い出はなかなか購入出来るものでは無い。時間を作り、思い出の種を蒔いていって欲しい。

 四度目は1992年、子供達も大きくなり、夏休みを利用して帰ってきた、夏はよく大山に登ったねと懐かしい話、そうかでは行こうと日帰り登山。5、6才で登った大山、それなりの思い出がインプットされていたのかと思うと嬉しくなる。

 山頂はご存じ木道に変わり、昔の思い出が無い、でも登山のきつさは身体が覚えているのだろう、小さな時に登った思いを彼らなりにかみしめていた。頂上に着くと、空模様があやしくなり、急いで下山、されど途中から雨に降られ、大山寺の食堂ではしたたり落ちるほど濡れてしまった。おかげでカメラも接触不良となり修理に相当な費用がかかった思い出がある。

そして、今回である。