「草の根エンスー日記」をお読みの皆さん、こんにちは。
  私が「わが愛しのベレット」に登場する「キムラ」こと木村直樹という者です。
  今でこそベレットを手放し、四国の地を離れて暮らし、少しずつあのころの記憶も薄れてしまいつつありますが、ベレットとともに過ごした(わずか)一年は僕にとってかけがえのない日々だったのではないかと、今になって思わなくもありませんが、やっぱりあんまり意味がなかったのかもとカレーを食べながら考えてみました。

  思えばことのはじまりは、ある日の午後に暑苦しい古ぼけたオープンカーで乗りつけた旧友との再会にありました。
  そのミジェットとかいう2シーターを、僕はかっこいいと思ってしまったのです(といっても、その場はぜんぜんかっこいいとは思わず、後々にボディーブローのように効いてきたわけですが)。そしてそうなると「あの変なオープンカーに勝つには僕も何かかっこいいエンスーな車を手に入れるしかない」と思いはじめ、そしていつしかいすゞベレットを手に入れたわけです(細かいいきさつは本編をお読みくださいね)。

  僕にとってベレットはとにかくデザインが秀逸で、そして国産車であることも重要なポイントでした。G161Wユニットに刻印された「いすゞ」の文字を見たときは思わず合掌してしまったほどです。
  あの英国車を追っかけるには国産の箱のツーリングカーがいいような気がしました。かつて富士や鈴鹿でそんな光景があったであろうことを想像しつつ……。当時からプライベーターに親しまれたツーリングカー、ベレットであのにやけた蛇の目付オープンカーを撃墜してやるぜ!  とか思ったものです。しかし僕のベレットはなぜか80km/hを過ぎたあたりから、まるで高射砲で迎撃されているような振動が起こり、怖くて撃墜どころではなく、まっすぐ走るのでせいいっぱいでしたが……。

  そんな99艦爆みたいなおんぼろベレットでしたが、ガソリンスタンドでは店員さんやお客さんにやたら懐かしがられたり、イベントに参加していろんなエンスーな人たちと知り合いになれ、とても楽しい思い出ができました。なかでも高知のイベントでミス高知のお姉さんと記念撮影をした際には思わずシャッターを押す指が震えそうになったものです。というか手ぶれで何がなんだかわからない写真ができあがりました。ごめん、KAZ。

  そうした日々を送っているうちに突然ベレットと別れる日が来ました。

  80万からの借金だけが残ったわりには不思議と後悔の念はなく(まったくなかったわけではないです)、まあいい経験をしたなあとちょっとだけ思いました。

  今でも時々ベレットを見かけることがあれば(滅多にありませんが)、僕の視線は釘づけになってしまいます。あのベレットはオイルが漏れてないか?  白煙は噴いてないか?  下手をするとエンジンマウントが腐ってないかもぐって確認したくなります。あの一年で逝ってしまったベレットを思い出して。

  あの日、ベレットは広島のとあるショップのガレージで僕を待っていました。
  迎えに行った僕はその1969年製の車をずっと大切に乗っていこうと思いました。
  しかし一年後に修復不能と診断され、四国でお世話になっていたショップにいくらかのお金で売りに出してもらいました。



  それからしばらく経ったある日、ほかのショップで僕のとそっくりなベレットを見かけました。
  おそらく部品取りにされるであろうそのベレットは、やはり僕が広島から連れてきたあのベレットでした。

  ベレットはそこで、僕がもういちど救い出してくれるのを待っていたのかもしれません。

  しかし僕にはもうどうにもすることはできませんでした。
  途方に暮れるばかりで、ボディーを修復する方法も、それにかかる費用も捻出する力はありませんでした。



  今でもあの光景を思い出します。
  少しずつ記憶は薄れていっても、あの光景は一生忘れないと思います。

  あの日ベレットは僕が迎えに来るのを待っていました。



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