烏帽子山〜比婆山縦走



比婆山 1256m 烏帽子山 1225m
難易度 ☆    登り112分 縦走30分 下り64分  広島県
倉敷からの距離    137Km        登頂日 2025/07/27   ガイドブック  写真 

六ノ原7:39−8:28出雲峠−9:31烏帽子山9:48−9:57コル−10:18比婆山10:21−10:24分岐−10:54七合目−11:17登山道合流−11:25六の原

登山 
 今日は烏帽子山(えぼしやま1225m)比婆山(ひばやま1264m)を訪ねる
 登山支度をする 私の隣の方は車内に留まったままなので挨拶をせずに出発する 今日は昨年に続き烏帽子山を狙う 過去の記録を見るとこの季節には牛曳山にも池の段にも訪ねていたので、こちらを選んだ
 
 管理センターを向いて右手方向にルートをとる 正面には毛無山が伺える 橋を渡り左に折れると県民の森と書いた石碑が見え その先に緑の草芝が広がる その先に見える山が比婆山、烏帽子山はその右手に位置するが見えない
 
 園地にはナツツバキ ウワミズザクラ*(*は実を意味する) アキノタムラソウ ナナカマド*等が顔を見せてくれる ウワミズザクラの実が色づいてきておりなかなかいい
 
 ルートはまず出雲峠を目指す 大きな案内板の先に案内標識があり出雲峠・毛無山の案内に従い 樹林帯に入って行く またトイレ修理用道路敷設中だったか記憶があやふやだが、何だろうと思った看板が設置されていた 後でわかった事だが出雲峠のトイレ改修の為のようだ ルートは幅広で緩やかな登りが続く 右手に毛無山と書いた分岐があるが 直進し、出雲峠を目指す ルートにはキツネノボタン ウツボグサ イヌトウバナ ヤマボウシ* ダイコンソウ オオバギボウシ ヌスビトハギが顔を見せてくれた
 
 ルートはこれまで2車線程の広さがあったが1車線程に狭くなる地点がある 登山ルートはそちらなのだが、渓流に沿った幅広の自動車が走れるような道が敷設されている 道路敷設とあったのはこれかも知れない 通行禁止の表示は無い 追ってみよう 新設された道で緑は少ないもののそれでもダイコンソウがあちらこちらで顔を見せてくれる ルートは一度登山ルートと合流するがすぐに別れ、また渓流に沿ったルートが敷設されている 更に追う 新しく敷設されたルートを10分程歩いただろうか そこで行きどまり 工事用重機や仮設トイレがある そしてそこから登山道に行けるルートもあり、登山道に合流する
 
 そこから出雲峠まで20分程歩いたが ルート脇には木柱や笹を切り払い拡幅する為の測量を行っているような様子が伺える 今日は日曜だったのか工事をされている人とは出会わなかった どうやら出雲峠のトイレの改修工事の為の道路整備のようだ どのようなトイレが出来るのか楽しみだ
 
 その間、出会った花や実はヤマアジサイ* オトギリソウ ウワミズザクラ* オオバギボウシ リョウブ#(#は花芽を意味する) ここで見たウワミズザクラの実はまだ色づいていなかった
 
 ルートを行く 右手ルートを少し入ったところにトイレ またその先に避難小屋がある トイレは使用禁止になっている 右手奥にそれらの建屋を見ながらルートを行くとちょっとした広場に出る ここが出雲峠で 左は烏帽子山 右は毛無山への分岐になっている
 
 峠を左に折れ 烏帽子山へ向かう ルートは薄暗い樹林帯に入る 樹林に入ると樹林特有の雰囲気に囲まれる ひんやり感に加えどこからか風が吹いてきて実に気持ちが良い ルートを追って行く ユキザサ*を見つけた程度で花は少ない 10分程登ると 野生鳥獣生息数調査点第10号という標識があり いくらかルート幅が狭くなる
 
 標識から5,6分登ったところに渓流がありモミジハグマ# ドクダミ オトギリソウ イヌトウバナ ヤマアジサイ* ヒカゲミツバ ミヤマタニソバ トチバニンジン# エンレイソウ*などが顔を見せてくれた 
 
 樹林の中のルートは続く コアジサイ* ヤマジノホトトギス ユキザサ* オオバギボウシ ガマズミ* オオカニコウモリ# ガンクビソウ#など見つけながら登って行く 
 
 渓流から40分程登ると樹林から抜けたルートに出 オオバギボウシ ヒヨドリバナの出迎えを受け アカモノ* タニウツギ* ミヤマガマズミ* ノアザミ ウツボグサ ニガナなどを見つけながら行くと山頂広場に出る
 
 早速烏帽子岩に行く 山頂にある山座を示す案内の吾妻山の方角に進むと岩の所に出る 岩の傍に烏帽子岩*1)の説明板がある ここからの景観はもう得られない 条溝岩へ向かう
 
 烏帽子岩や条溝岩は山頂広場から見えないし、案内板のようなものは見られない ルート表示があるのでそれに従ってルートを入って行けば良い ルート脇の草木の背が高いのでちょっとした山道を行く感じ
 
 烏帽子岩から条溝岩へ向かう途中ツタウルシ*を見つける また、ソヨゴ*と思われる実を見つけたが葉の感じが違うようにも思え怪しい
 
 条溝岩ではこの岩に立って景観が得られないか また、この上に立った記念写真が撮れないか準備を始めた 10秒で立てるかトライしてみようとアプローチしてみたがとんでもない 全く身体が動かない 岩の上に立とうとすれども思うように行かない それでもこわごわ岩の上に立ち チラッと見える毛無山に連なる山並みの景観をなんとかカメラに収める 帰宅して撮れた写真を見ると 大山が写っていた こんなご褒美を頂いた
 
 景観が得られるところが無いか 山頂広場をもう一度点検 ベンチが設置されている背中にあたる部分に空間があるので端まで行ってみると そこから比婆山を伺う事が出来た 条溝岩からも見えたが手前の樹木に遮られ 山がある事しか判断できないものだった
 
 烏帽子山をあとに、比婆山へ向かう 御陵への案内標識がありそれを追ってゆけば良い 二本あるルートの左側を降りて行く 5分程で合流点に出る 左へ折れて降りてゆくとすぐにコルに出る ここから公園センターに降りれるルートがあるがそちらには行かず 御陵へ登って行く ルートはいずれも樹林の中で景観は得られない 緩やかな傾斜である
 
 コルから20分程緩やかな登りを行くと 比婆山山頂に出る 山頂には御陵があり広島県史跡 比婆山伝説地*2)と書いた大きな説明板がある ルートではオオバギボウシ ヤマアジサイ* ヤマジノホトトギス サワフタギ* マムシグサ*を見つける ヤマジノホトトギスは幾つも花を咲かせていた また、家族連れの5名グループとすれ違い 御陵では男性お二人が登って来られた 山頂はどこだろうかと問われたので標識はそこにあるが眺望は得られないと話した
 
 山頂を後に ルートをそのまま進むと天然記念物であるイチイの木があるところに出る イチイの木の周辺のトラロープは相変わらず 離れたところから見てルートを行く
 
 イチイのところからすぐ先に分岐があり ここから公園センターに降りれる 案内に従い左へ折れ ルートを降りて行く
 
 緩やかな下り 下りのペースを楽しみながら降りて行く どこで間違えたのか前回降りた時はゲレンデに出たが今回はゲレンデに出なかった 比婆山七合目と書いた標識に出た 分岐の標識では管理センターを選んだ筈 間違っても迷う心配はない 構わずテンポ良く降りて行く 出た所は丁度スキー場ゲレンデ入口 ゲレンデでの陽射しを受けずに降りてくる事が出来た この間花や実は探す余裕なく足元ばかり追っておりたがそれでも眼に入ったものはバイケイソウ* オオナルコユリ* トチバニンジン* いずれも目立つところに顔を見せていた
 
 スキー場入口を左に見て すぐに草芝のルートに出る 草芝の広場に出る直前に 鉄穴流しの洗場跡*4) と書いた案内板があり 草芝の広場に沿ったルートにも 六の原製鉄場跡*5) と書いた説明がある 更に 草芝の広場を過ぎ 六の原川を渡った公園センターの斜め前にも 比婆山周辺の文化財案内*6) が設置されていた
 
 ルートではナツツバキ ハウチワカエデ* タニウツギ* イワガラミ* ウツギ* ミズキ*などを見て六の原駐車場に戻る 駐車場はかなりの数の車が駐車していた 隣の車はまだあった 車載温度27℃だった
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*1)烏帽子岩
 比婆山連峰には,烏帽子の形に似た巨石が神格化され,烏帽子岩と呼ばれるものがいくつかある。御陵の峰にある太鼓岩,その南方,立烏帽子山にある備後烏帽子に対し,島根県に接する烏帽子山の頂きにあるひときわ神秘的なこの石を出雲烏帽子岩と呼ぶ。
 

*2)広島県史跡 比婆山伝説地
指定年月日 昭和16年3月IO日
所任地 庄原市西城町熊野525番1
   庄原市比和町三河内3232番7他

 比婆山(1264m)の山頂は、古事記にいう伊邪那美命(いざなみのみこと)を葬った比婆山であるとして、古来より信仰の対象となってきたところである.南麓に遥拝所熊野神社があリ、山腹に那智の滝(古名、鳥(ちょう)の尾の滝)がある。神域の巨石及びイチイの老木は神籬盤境(ひもろぎいわさか)として伝承されている。
 古事記に「伊那那美神は出雲国と伯伎国との境の比婆の山に葬りき」とあり、いわゆる「御陵の峰」が神陵のある山である。この御陵を奥の院といい、南方約6kmの山麓にある比婆山大神(伊部那美神)を祀った熊野神社を本宮という。比婆山は別名「美古登山」ともいい、山上には3haにもわたる広大な平坦地がある。
 その中央部付近にある径15mの区域内は昔から神域として伝えられ、雨露に崩れて露出した巨石数個が重畳している.南側正面には一対のイチイ(門栂という)がおのおの巨石を抱いて茂り、伝承にある神域の門戸を形造っているようである.
 この栂(正しくはイチイ)は木の母の字意から神木と解し、東洋における最長寿木であり、古代の神殿の造営林として重用されたもので、「あららぎ」の古語がある。御陵の背後に烏帽子岩という大きな岩があり、叩けぱ太鼓のような音を発するので、太鼓岩とも呼んでいる。そしてその周辺にはそれぞれ巨石を抱<イチイの巨木があり、古来神域の象徴として崇められてきた。幕末以後、神陵参拝が盛んであったが、明治20(1887)年頃、比婆山を神陵として称することが禁じられたため、登拝は衰えていく。その後、地元出身の宮田武義、徳冨蘇峰らによって全国に知られるようになった.
平成22年3月 庄原市教育委員会
 

*4)鉄穴流しの洗場跡
広島県史跡 六の原製鉄場跡
昭和46年7月30日指定
 この洗場跡は、鉄穴(かんな)流しの方法によって山砂鉄を採る作業工程の最後の作業場にあたるところで5つの池(砂鉄採取施設)で構成されています。これらの池が、2本の流れから成っているのは、交互に使ったり、また同時に使ってより多くの砂鉄を採ったためです。
平成2年3月
 

*5)広島県史跡 六の原製鉄場跡
指定年月日 昭和46年7月30日
所 在 地 庄原市西城町油木字川奥乙5156番2他
 比婆山連峰の周辺では、古来よりたたら製鉄が盛んに行われてきた。江戸時代には「当群第一の産業、諸民これによりて生活するもの甚だ多し」(『芸藩通志』・文政8年)というほどで、いつの頃からか「東城西城黒鉄(くろがね)ところ」と謳われてきた。
 ひろしま県民の森が造成されていた昭和45年、その工事中に発見されたのがこの遺跡である。砂鉄の採取から製鉄までの一連の遺構が残されており、なおかつ近世から近代にかけて操業していたことが分かる史料的裏付けのある製鉄遺跡として注目された。
 遺跡の大部分は保護のために埋め戻され、金屋子(かなやご)神社付近の芝生の地中にある。しかし、砂鉄採取の最終工程の施設である洗池(あらいけ)は保存状態が良かったこともあり、現在も砂鉄が採取可能な状態で保存整備されている。
平成30年3月 庄原市教育委員会
 

*6)比婆山周辺の文化財案内
 和銅5年(712)に記された日本最古の歴史書である古事記に「故(かれ)、其(そ)の神(かむ)避(さ)りましし伊邪那美神(いざなみのかみ)は、出雲國(いずものくに)と伯伎國(ははきのくに)との堺(さかい)の比婆之山(ひばのやま)に葬(はぶ)りき」とあります。ここに記された比婆山の所在地については諸説ありますが、当地の比婆山御陵も候補地のひとつであり、遥拝所である熊野神社とともに古くから篤い信仰を集めてきました。このような背景から、熊野神社から竜王山(りゅうおうざん)を経て御陵に至るまでの一帯が「比婆山伝説地」として昭和16年に広島県史跡に指定されました。・
 そして、岡辺には貴重な文化財が数多く所在じています。 県民の森の造成時に発見された、江戸時代終わり頃のたたら製鉄遺跡である「六の原製鉄場跡」は県史跡に指定され、その一部は実際に砂鉄が採取可能な状態で保存されています。また、中国山地西部の清冽な渓流にのみ生息するイワナの亜種『ゴギ』(県・市天然記念物)の姿も見ることができます。
 他にも、御陵山頂部を覆う豊かなづナの森は「比婆山の純林」として国の天然記念物に、そのプナ林内に点在するイチイは「比婆山のイチイ群」として庄原市の天然記念物にそれぞれ指定されています。また、熊野神社境内に林立する巨杉群は「熊野神社の老杉」とて県の天然記念物に指定されています。
 さらに、日本有数の巨樹である「熊野の大トチ」(国天然記念物)などもあります。
平成29年3月庄原市教育委員会


アプローチ
 薄っすらと明るくなってきた頃、倉敷を出発 車載温度25℃ 酒津から高梁川に沿って走り川辺橋 総社大橋と抜ける 豪渓泰橋23℃ 180号へ左折し高梁川に沿って北上する 井倉23℃ 新見24℃ 市街地を抜け三叉路で180号と別れ182号へ左折し、新見トンネルを抜け東条へ向かう 東条で314に乗り北上する 小奴可の猫山には山頂付近にガスがかかっていた 備後落合で183と合流 すぐに別れそのまま314を北上する トンネルを二つ抜け比婆山温泉のところを県民の森の案内に従い左折 次のT字路を右折して道なりに走り広島県民の森 六の原駐車場へ ここ駐車せて頂く 車載温度は22℃ すでに10台近く駐車していた 備後落合の183の合流点で1台の車の後につく、この車も六の原に駐車 私もその隣に駐車