MGミジェットという車がある、ということを初めて知ったのは、たしか20歳の頃だったと思う。
  1990年頃のことだ。
  当時ぼくは大学生で、四国の香川県高松市に住んでいた。

  もともと昔から「車」という乗り物が好きで、とくにヘンチクリンな車にそそられる傾向があることも手伝って、ぼくは古い車、いわゆる旧車にぼちぼち興味をもちはじめていた。
  なんで古い車に興味をもちはじめたのか、その直接のきっかけはあまりよく覚えていない。
  ともかくぼくは旧車専門の雑誌『カーマガジン』をいつのまにやら定期的に買いはじめ、いまはもう路上で見ることがほとんどない車たちの記事を目で追っていくようになったのである。

  毎月28日頃になるとぼくは本屋に走り、『カーマガジン』を買った。そしてそれを部屋に持って帰り、ゴロゴロと寝転がりながらゆっくりと眺めた。
  そうしているうちに、ぼくは古い車のカタチと名前を少しずつ覚えていった。
  フィアット・アバルト、カルマン・ギア、スーパーセブン、モーガン、ディーノ、アルファロメオ、アストン・マー(以下略……)。
  ページをめくるたびに現れる、古くてヘンな形をした車たち。その写真と名前を交互に見比べながら、
「ナルホド!  チンクェチェントとアバルト595SSはここが違うんだな!」
  などと納得しつつヒザをポンと叩き、晩メシのチキンカツ弁当なんぞをモシャモシャ食ってから風呂に入って寝ていたのである。

  MGミジェットも、当時そんなふうにして覚えた車のひとつだった。
  数年後にオーナーとなる身としては、ここで一発、
「なななななんだこのカッチョエエ車はあああああッッッ!!!!!!!」
  などと「!」を7つぐらい連発しながら稲妻にうたれる、なんていうドラマティックな出逢いでも演出したいところだが、現実はさにあらず。
  実際のところ第一印象なんてまるっきり覚えてない。
  ミジェットは『カーマガジン』にほぼ毎号登場していた。記事や特集に取り上げられることはもちろん、その隙間に間断なく差し込まれている広告にもよく掲載されていたのだ。
  そのあまりの高露出度から、「ミジェットという車は旧車の中ではけっこうメジャーな存在なんだな」ということぐらいはまあ気がついてはいた。
  しかしそこで「もっとミジェットのことを知りたいナ……」などと淡い好奇心に心ときめかせ、おもむろにハッと我に返って「これってもしかして……?」と無垢な胸の疼きに動揺する20歳の春の午後……とはならなかったのである、実際。
「フーン、こんな車もあるんやね」
  と2秒ぐらいでページをめくって尻をボリボリ掻き、晩メシのカツとじ弁当なんぞをグハグハ食ってから風呂に入って寝ていたのである。

  ゆくゆくは「おまえしかないぜ!」と身も心も捧げることになるミジェットとの出逢いも、最初はこんなふうにロマンのかけらもない、平凡きわまりないものだった。
  しかしその後も連綿と続いたカーマガジン読破の積み重ねにより、MGミジェットという車の姿と名前は、とくに意識するわけでもなく、ぼくの心の奥底へ次第に、静かに刷り込まれていったのである。
カーマガジン


  それから2年の月日が流れた。

  1992年1月。
  この冬、ぼくはとてつもない体験をしてしまった。
  とてつもなく衝撃的で、22年の人生において初の、そして初めてにしてはあまりにドラスティックで甘美な体験である。
  それはナニか!?
  いちおうお約束で言っておくが、それは「わたしがリードしてあげるわ……」でもなく、ましてや「ワシがリードしたるけん」でもない。

  オープンカーを運転したのである。

「なんだ、車を運転しただけじゃん」
  などと言うなかれ。
  車ではない。
  オープンカーを運転したのである。
  いまでもそのときのことを思い出すと知らず知らずのうちに心高ぶってしまうのか、ついさっき「オーピンカー」とまちがって入力してしまいそうになったぐらいである。

  そのオープンカーはユーノス・ロードスターという名だった。
  ひょんなことからロードスターをレンタカー屋で借り、凍てつく冬の夜、街を、そしてワインディングロードを、ぼくは幌を開けて走った。
  初めて操るオープンカー。
  この体験で、ぼくの心は激しくグラグラと揺さぶられた。
  浜田省吾は15のときに通りのウィンドウに飾ってあったギターを見て稲妻が身体を駆け抜けたという。ギターを見ただけで稲妻にうたれるとはなんとも感受性豊かだが、しかしオープンカーを初めて運転したときのぼくは、まさしくそんな状態だったのである。
「世の中にはこんな乗り物があったのかッ!」
  などと語尾のあたりややGペン劇画タッチに驚愕し、怒濤のように押し寄せる興奮の波に身も心も翻弄されつつ、「うおおおおお……」とひとり悶絶したのである(なんかアブネーな)。

  22歳のぼくは、冬のまっただなかにオープンカーと出逢った。
  ユーノス・ロードスター。
  じつに罪深い車である。
  しかし哀しいかな、そのロードスターはレンタカーであった。
  ときに激しく、ときにメロウでスウィートだったふれあいの時間はあっというまに過ぎ去り、ぼくはシブシブ、ロードスターを店に返却した。
  オープンカーと繰り広げた、めくるめく体験は終わりを告げた。
  しかしぼくの目の前からオープンカーが消え去っても、胸の奥底にはまだ大きなうねりが残っていた。
  束の間だった未曾有の異次元感覚を思い出すたびハアハアと息を乱し、心をうち震わせたのである。

  この体験が、ぼくとミジェットを結びつける大きな布石となった。

  オープンカーが欲しい。

  期間限定のレンタカーなどではなく、自分のそばにいつもオープンカーを置いておきたかった。一夜のすれちがいで終わる男女ではなく、いつも一緒さキミとボクな関係になりたい。
  ああ、なりたいったらなりたい!
  胸焦がすこの思いを実現させるには、買ってしまうほか方法はない。
「オープンカーに乗りたい!  オープンカーが買いたい!  オープンカーが欲しい!  ああ欲しいったら欲しいのだウーン!」
  こうして新たな悶絶にぼくはのたうち回った。
  しかしいつまでものたうち回っているわけにはいかなった。
  その理由を一覧表にまとめると次の通りである。

1.春に卒業を控えていたが、卒業に必要な単位がいまだそろっていない
2.就職先が決まってない(ほぼあきらめている)
3.お金がない

  いずれもオープンカーへの道のりを閉ざすには十分すぎるほどの、あまりに哀しい現実であった。
  この現実にハタと向き合ったぼくは、「無念なり……」と肩を落としつつも、オープンカーを激しく求める心にいったんフタをした。

ロードスター


  やがて季節が変わり、春を迎えた。

  ぼくはなんとか卒業を果たし、晴れてプー太郎となった。
  これでオープンカーへの道のりを閉ざす第一の関門はクリアだ。「オッシャ!」と拳を握りしめたいところだが、しかし依然として第二、第三の関門がぼくの目の前にそびえ立っている。
  とくに「お金がない」のは、いかんともしがたい事実だ。いくら財布をひっくり返しても預金口座をつっついても、オープンカーなどという浮世離れした物体を手に入れるための資金が捻出できるはずもなかった。
「よし、とりあえずお金を貯めよう」
  ぼくはそう心に決めた。
「できるだけお金を貯めて、できるだけ早くオープンカーを買うんだ。そうだ、ひとまずそれしかないぜ……」
  ぼくは腹をくくり、きたるべきオープンカーとの甘美な日々のため(と、主に生活のため)にアルバイトをはじめた。
  お金を貯めるんだ、コツコツと。そして就職活動もしよう。貯金ができて就職もすればオープンカーを手にすることができるんだ。そうだがんばろう。
  愛しのオープンカーを想う心をそっと胸の奥に秘め、地道だが、しかしいまのところはこれしかないという方法で、ぼくは少しずつオープンカーに接近していくことにしたのである。

  そんなときだった。
  ぼくの心を激しく揺さぶる出来事が、再びぼくを襲った。
  
  ぼくの彼女がユーノス・ロードスターを買ったのである。

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