vol.03 これください


  あの日以来、ミジェットの姿が頭から離れなくなった。

  仕事をしてるときもメシを食ってるときも、あんなことやこんなことをしてるときも、思い浮かぶのはミジェットの姿ばかりである。
「これってもしかして……」
  草原に腰をおろし、かたわらに咲くハルジオンを摘み、風に震える小さな花に話しかけてみる。
「もしかして恋?」
  ぼくの小さなつぶやきは、ハルジオンの花とともに青い空へと消え去っていった(以上、心の面持ちを描写)。


  どうやらぼくはミジェットに心を奪われたようだ。

  ミジェット。

  あぁミジェット。

  いぃミジェット、うぅミジェット、えぇミジェット……。

  おぉミジェット!

  雨にうたれ、ひとりきりでたそがれていたミジェット。
  その存在は例えていうなら、空き地の片隅のダンボール箱でプルプルと震える子犬。
  雨に震えながら、誰かが迎えにくるのを、あいつはずっと待っていたのだ。
  そこへぼくが現れる。
  あいつは、きっと期待しただろう。

  コノ人ガ飼ッテクレルカモ……

  うううううむむむむむむむ……………………。
  男・高倉健も思わず立ち止まり、「不器用ですが……」などとうつむき気味に連れて帰りそうな切なさである。
  あれがドピーカンの晴天だったら、もしくは「安いよ安いよ!」などと店員が客引きしていたとしたら、あるいはぼくの心も揺れ動かなかったかもしれない。「そのうち誰か買ってくだろう」などと2.7秒ぐらいで思い至り、男・高倉健も「不器用ですから……」などとつぶやきつつ北の方角へ去っていっただろう。


  といったように、やや情緒不安定気味に日々ミジェットに思いを焦がし、ともすればまた草原に腰をおろして花に話しかけそうになるのをひとまず抑え、ぼくは冷静に考えてみることにした。
  これでいいのか、と。
  ビートにしなくていいのか、と。
  本当にミジェットにしてしまうのか、と。
  よくよく考えれば、ミジェットという選択肢にはいろいろと問題がある。
  そのいろいろを図式にすると次のようになる。

  古い+外車=すぐ壊れそう≒お金がかかりそう
  
  とてもわかりやすい図式である。
  金持ちならそれでもいいかもしれないが、ぼくは一介のしがないサラリーマンにすぎない。銀行に多大な貯金があるわけでもないし、ある日突然莫大な遺産が転がり込んでくる予定もない。
  となると、
「それでおまえ、ミジェットを維持していけるのか?」
  調子に乗って買ったはいいが、そのうち故障や修理でヒイコラするんじゃないのか、という冷静沈着かつごもっともな疑念がわいてくるのである。
  で、
「やっぱやめとくか……」
  という結論に達しそうになるわけなのだが、しかしその思いにあらがうがことく、ぼくの胸はシクシクと切なく痛む。
  なぜ……?
  こんなにも心が揺れ動くのはなぜ?
「もしかしてこれは……」
  ぼくは窓際に腰をかけ、青空を流れゆく白い雲にそっと話しか(以下略)。


愛しの君……


  次の土曜日がやってきた。
  たまっていた洗濯を済ませ、食器を洗い、散らばっていた雑誌を片づけたりしているうちに昼になった。
  ひと通りの家事を終えると、あとはとくに予定はなかった。
  ぼんやりと煙草をくゆらせる。
  テレビをつけ、すぐに消す。
  新聞を読み、広告をチェックし、また煙草に火を点けてみる。

「…………」

  煙草を灰皿に押しつけ、ぼくは部屋を出た。


  ショップの店頭にはあいかわらずミニがずらりと並べられていた。
  前回とちがっているのは、ガレージのシャッターが開き、メカニックとおぼしき人がいることだ。駐車スペースの片隅に車をとめたぼくに気づいてないのか、ミニのエンジンルームをのぞきこんでなにやら作業に没頭している。
  そのガレージのそば、あの時と同じ場所に、あの時と同じ姿で、MGミジェットがいた。
  胸の高鳴りをひとまず抑え、深呼吸をしてみる。
「いきなりミジェットのそばに行くのもナンだから、まずはほかのミニを物色するフリなんかして徐々に近づこう」
  そんなことを画策しつつ手近なミニに近づいてみたりするぼくだったが、しかし挙動不審な男A(ぼく)は、たちまちメカニックの目にとまることになった。
「ども、なんかお探しですかあ」
  作業を中断して、すかさず近寄ってくるメカニック氏。

  い、いかん……!  努めて冷静に振る舞わねば!

「あ……、んとエト、その……。そこにあるミジェットなんスけど……」
「あー、ミジェットですかあ」
  メカニック氏は傍らのミジェットとぼくを交互に眺めた。価格ボードはあいかわらず伏せられたままである。
「ええ、そのミジェットなんスけど、あの……売り物なんですか」
「そうっスよ」
  メカニック氏はキッパリと言い放ち、ニカッと笑った。
  そうか……やっぱり売り物か……。
  んとエト化しつつ、ぼくはおずおずとミジェット(とメカニック氏)のそばに歩み寄った。
  メカニック氏はそのミジェットについて、ひとつひとつ丁寧に説明してくれた。
  1975年式MGミジェット1500。これがそのミジェットの正式な素性だった。
  走行距離約6万km。ホイールとキャブレター以外はほぼノーマル。ボディに目立ったサビなし。タイヤはほぼ新品。車検約8カ月分残。総合評価は「年式相応よりやや上」の程度ということであった。
「うーん、なるほど」
  などと冷静にあいづちをうってはみたが、もっかの状況としては「ぼくの熱視線ミジェットまっしぐら」である。
「うーん、なるほど」(ぼく)
「………………」(メカニック氏)
「………………」(ぼく)
「………………」(メカニック氏)
「………………」(ぼく)



  き、気まずい……!

  ここはひとつ何か話題をふらねば、と焦った矢先、ふいにメカニック氏が口を開いた。
「ちょっと試乗してみます?」
  へ?
  いやその、試乗っていっても大変でしょう車出すのが、ホラあれさっきまで作業してたの大丈夫なんですか途中でやめちゃったりして、それにひょっとして商談中の人がいたりしてもしそうだったりしたらその人に悪いなーなんて遠慮したりするわけで、しかも今日あまりいいパンツ履いてきてないしその……。
  意味もなくうろたえている間に、メカニック氏はミジェットのキーを事務所から持ちだし、すばやくエンジンを始動させた。

  キュキュキュキュキュラヴォウドゥボラヴォアアアアアアン!

  小さなボディを震わせ、ちょっともったいぶるようにミジェットは目覚めた。
  時おりアクセルをあおってエンジンの調子を確認していたメカニック氏は、やがて助手席のドアを開けて「どうぞ」と促した。
  ぼくはフラフラとミジェットの助手席に座り、メカニック氏の運転で試乗に出かけた。

  運命は決した。

  10分後。
  ミジェットからヨロヨロと降りたぼくは、メカニック氏にむかってこう言い放っていた。

「これ、ください」



  翌日、ぼくはホンダクリオを訪れた。
  哀れな営業マンにビートお断りの旨を伝えるためである。
  営業マンはぼくの宣告にひどく驚き、そして落胆の色を隠さなかった。
  悪いことしたな、と思う。ドタキャンくらった営業マンは今夜あたり営業所長から「どーなってるんだねキミ!?」などとお叱りをうけるかもしれないが、しかしぼくはもう決心してしまったのである。
  その翌日の夜、ぼくのアパートにショップの社長がやってきた。
  購入の契約をするためである。
  社長はスラッと見積書を差し出した。
  車両価格140万円。これが値引きで135万円にダウン。
  消費税や自動車税、車庫証明、名義変更、納車整備などなどの諸経費が計14万8,370円。
  しめて149万8,370円。
  これがミジェット購入金額の全てだ。
「よろしいですか?」
  社長が確認を求めてくる。
  ぼくはコクリとうなずき、「ロ、ローンで……」と答える。
  頭金なし48回(年2回ボーナス払い含む)の4年ローンが決定した。
  やっちまった……という思いがなかったといえばウソになる。
  しかし後悔はしてなかった。
「それではよろしくお願いします……」
  社長は深々と頭を下げた。
  あわててぼくも頭を下げた。





  1993年6月下旬。
  土曜日。
  その日は朝からどんよりとした曇り空だった。
「どうせなら抜けるような青空だったらいいのにな」
  灰色の空を仰ぎつつ、ぼくは電車と徒歩でショップへと向かった。
  湿度が高く、やけに暑苦しい午後だった。
  汗をかきかきショップに到着したぼくをまっさきに迎えてくれたのは、愛想のいいメカニック氏でもなく、やけに早口な社長でもなく、MGミジェットだった。
  納車のために磨き上げられたのか、鈍い陽光をさりげなくボディにひるがえし、ガレージの前に小さくうずくまっていた。

  余計なものなどないよね……

  SAY YES調にスローモーションで駆け寄るぼくを、「やあ、いらっしゃい!」と呼び止めるショップの社長。その手にはミジェットの車検証やその他必要な書類があった。
  それらを受け取り、納車整備や取り扱いの注意点について簡単に説明を受ける。
  しかしそんな説明はうわの空である。
  ぼくの心は一面のお花畑を「あはは……」と駆け、ビーマイベイベ光線をミジェットに激しく照射しつづけていたのだ。
  そのときである。
  ミジェットの幌が閉められている、という事実にぼくは気がついた。
  さらに、ミジェットのオープン状態での姿をまだ一度も見たことがない、という事実にもまた気がついたのである。

  ああ一刻も早くオープンなミジェットを拝みたい!

  唐突にわきおこる衝動を抑えきれず、ぼくは社長に「ほ、幌はどうやって開けるんです!?」と迫った。
「幌ですか。簡単ですよ」
  アタフタくん化したぼくの要望に社長はクールに応え、ミジェットの幌を開けはじめた。幌骨のあちこちをギシギシときしませながらドッタンバッタンとせわしないその手順はどうみても簡単そうには見えなかったが、それでもみるみるうちに黒い幌が整然と畳まれていった。
  初めて目の当たりにする、すっぴんの(オープン状態の)ミジェット。
  それはまさしく、身軽で軽快な、きっちりと正しい姿のオープンカーであった。
  
  じーん…………。

  こみあげてくる熱い感動とともに、ぼくはうっとりとミジェットを見つめた。
  そんな心を知ってか知らずか、社長は「閉めるのも慣れれば簡単ですよ」などといいつつ、幌骨をギシギシときしませながら閉めていった。
  ユーノス・ロードスターの幌の開閉は簡単で、信号待ちの間に運転席に座ったままできるほどだったが、さすが1975年生まれのミジェット、見ている限りそうそうイージーではないようだ。
「雨が降るかもしれないんで、いちおう幌閉めときますね」
  社長の言葉にとりあえずうなずいたところで、いよいよ出発である。
「それではお気をつけて」
  社長はポケットから何かを出し、それをぼくに差し出した。
  それはミジェットのキーだった。


  土曜の午後の国道は、やや混雑がはじまっていた。
  ゆっくりとした流れに乗り、ミジェットは信号を2つ、3つと過ぎていく。
  左手にレンタルビデオ屋の大きな駐車場があった。
  そこにミジェットを入れ、エンジンを止め、降りる。
  固く閉められた幌に、ぼくは手を置いてみた。
  やや湿気を含んだ、黒いビニールの幌。
  それにゆっくりと手をかけ、ホックをひとつひとつ外し、おぼつかない手つきで幌を畳む。

  ……………………。

  ぐふっ。
  むふっ、むふふふっ。
  ダハッ。
  エヘッ。
  ウシャシャシャシャ……。

  やったぜ!
  ついに買っちまったぜオープンカー!
  買っちまったぜMGミジェット!
  みんな見てくれこいつを!
  おれのミジェットだ!
  おれのミジェットだ!
  あぁついにおれはオープンカーを手に入れたんだぁぁぁぁっ!!

  世界中に誇りたいほどの喜びを胸に、ぼくは再びミジェットを始動させ、曇り空にむかって拳を突き上げんばかりの勢いで猛然とアクセルペダルを踏み込んだ。


  次の日、始動不能になるとも知らずに。


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