vol.05 押し寄せる洗礼


  近づいてくると憂鬱になるもの。いくつかありますね。
  試験、〆切、月曜の朝、ゴキブリ──。
  長いコートを着てウスラ笑いのおっさん、というのもかなり憂鬱だ。とくに春先の夜に路地で出くわすと、かなり「イヤだな」と思ってしまう。「バッと開けないでほしいな」とも思う。

  『車検』というのも、近づいてくるとけっこう憂鬱だ。
「そういやそろそろ車検か……」
  と思い出した瞬間から青空はたちまち黒い雲に覆われ、赤ん坊は泣きだし、犬はシッポを丸めて路地へ逃げ込み、通りに面した窓は次々に閉められ、バーテンダーはカウンターに隠れ、棺桶屋はそそくさとメジャーを取り出し、保安官は舌打ちしつつホルスターの銃に手をやるのである。

  えーっと、車検の話だった。

  なんで車検の話をするかというと、正月休みが明けた頃、アパートの郵便受けにこんなハガキが投入されていたからだ。



  ついにきたか……。

  1994年1月。
  ミジェットと暮らしはじめて半年が過ぎていた。



  車検──。
  それは公道を走るすべての車が年に一度か二度は必ず通る関門であり、等しく課せられた義務だ。10万円で買った中古のキャリーにも2億円で買ったフェラーリ288GTOにも適用されるものであり、そういった意味では民主的な制度だといえる。車検という名のもとではクルマ社会におけるヒエラルキーは崩壊するのである。車検を受けて「公道走ってもよか」とお上に太鼓判押されないかぎり、フェラーリ様であろうがブガッティ様であろうが近所のコンビニへすら走ってはいけないのだ。
  車検──。
  それは絶対的な拘束力をもつ制度であり、問答無用の関所なのである。


  ……などと久米明調に語りつつ、
「しかしなんで車検なんかあるんだ!?」
  と、いきなりバンバンと机を叩いてみたりするのである。眼鏡をクイッと押し上げ「どーなんだねそのへんは!?」などと詰め寄ってみたりもするのである。
  車検制度の意味ぐらいはぼくも知っている。知っているけど、ただなんとなくゴネてみたい年頃なのである。
  そもそも車検が楽しみな人なんていないだろう。
  カレンダーに赤丸つけて「あと5日で車検……うふ」なんて人はいないだろうし、車検の前夜はコーフンして眠れなかった、なんて人もたぶんいない。「車検フェチ」という言葉もとりあえず耳にしたことはない。

  なぜ車検が憂鬱なのか?
  お金がないからである。

  たいして自慢できるものがないぼくだが、ことこの件に関しては、
「金ならない!」
  と胸を張れる。
  「金はなくとも心は錦」と清貧の心を装ってみたりするものの、早い話がビンボーなのだ。
  そんなビンボーたれのぼくにとって、車検にかかる費用はとても痛い。痛すぎる。
  しかも車齢が10年を越えているミジェットの場合、車検は2年に1回ではなく毎年やってくるのだ。(注:1994年当時、車齢10年以上の乗用車は毎年車検だった)
  
  ごく一般的な相場でいえば、一度の車検にかかる費用は保険料その他もろもろを含めておよそ10万円前後だろう。
  10万円。
  10万円の価値は人それぞれだが、財布から1万円札をレジに出す際の「あー、いまおれ大金使おうとしてるよ……」という大胆不敵な感覚が一気に10倍になってやってくると考えるなら、やはり大金にはちがいない。「金を出すのが惜しい」とは思わないけど、「金が出ていくのは痛い」というのは偽らざる心境だ。
  繰り返すが10万円である。
  きょうび10万円も出しゃアータ、海外行けまっせ、海外。
  10万円で南の島トロピカルツアーなんてのに申し込んで、空港でガイドブック見ながらキャーキャー騒いで、パスポートにハンコ押してもらって、現地の空港じゃ「サイトシーング」なんてウフ、わたしって英語イケてるじゃん、なーんて照れ笑い、やーん海がキレーイ、部屋から夕日も見えるしぃー、まっしろな砂浜でサンゴのかけら拾ったりなんかしてウフ、なんだかあたしインディゴブルーの空とアクアマリンの海にト・ケ・チャ・イ・ソ♪……などという脳ミソがゲル化しそうな夢の3泊4日と同価格なのである、車検は。
  車検というのは無視できないから、なおさら気が重い。
  月曜の朝は気がつかないふりをするとかサボるという手段が残されているし、ウスラ笑いのコート男もその場でUターンすれば回避できる。
  しかし車検は回避できない。逃れることができない絶対的な拘束力をもっているのである。
「あ、いま間に合ってるんで……」
  などと北の方角へ後ずさることなど許されないのである。
  車検を通さなきゃ公道を走れないのだ。
  ところで以前、車検が切れた車で天下の公道を堂々と走り、おまけにフェリーに乗って瀬戸内海を渡ったことがあるという不届き者が、じつはぼくであることは内緒の話である。

  なんだか話は脱線しまくりだけど、とにかく1994年の年明け早々、わが愛しのミジェットにも車検の赤札が回ってきたのである。
  まっさきに頭をよぎったのは「いったいナンボかかるんやろ?」という下世話な心配だ。
  やっぱ高くつくんだろうか?
  なんせわがミジェットは“古いガイシャ”である。「ちょっとフツーじゃないぞ」というオーラがかなりはっきり出ている車だ。車検についても「そんじょそこらの車検じゃ済まないぜ」などといったシニカルな気配がなんとなく漂っているのである。
  ぼくは見えざるプレッシャーをヒシヒシと感じた。
  しかし……。
  「ミジェットだからって車検に特別お金がかかるってことはあるんだろうか」という素朴な思いも一方であった。
  変なカッコはしているが、ミジェットだって自動車にはちがいない。核融合エンジンを積んでるわけじゃないし、スイッチひとつでロボットに変型するわけでもない。
  多少古いだけで、基本的には普通の自動車とおんなじ構造であり、白い5ナンバーがついた1,500ccの乗用車なのである。「ミジェット?  割増料金だから100万円だね」などと陸運局がぼったくるわけではないのだ。自賠責保険だって法外な代金を請求されるわけでもない。
  そうか!
  普通に車検を受ければ普通の値段で済むはずなのである。
  車検以外に何もしなければ10万前後で済むはずなのである。

  ──と、ここまで話をひっぱっておいて何もなかったらウソである。

  車検以外に何かがあるから、それをあらかじめ知っているから、なおさら気が重いのである。



  それに気がついたのは、ある晩秋の休日だった。
  朝からよく晴れわたり、清々しい風が「さあいらっしゃい。うふふ……」と窓辺で手招きしていた。
  その誘惑にあらがうことなく、ぼくはミジェットが待つ駐車場へスキップで向かった。
  エンジンを始動させ、幌を開ける。
  あとは暖機運転が終わるのを待つだけだ。
  ぼくは煙草に火をつけ、おもむろにミジェットを眺めはじめた。
「えへへ、カッコいいなおれのミジェット、えへへ」
  近寄って、少し離れて、前から後ろから横からと、いろんな角度からミジェットに援交親父ばりの熱いまなざしを送る男(23歳/サラリーマン)。
「この角度からもいいな」
「おっ、この角度もなかなか……」
「ほほう、こっちから見るとこれがまた……」
  そうやってブランデーグラスをくゆらせながら(ウソだが)悦にひたっていたそのとき。
  
  ある箇所でぼくの視線がハタと止まった。

「……?」

  胸騒ぎをおぼえながら、その箇所へと近づいていった。
  
  右のリアタイヤ。
  そのサイドウォールに、なにやら同心円状の線がたくさんついている。
  いや、線ではない。
  “溝”だ。


  タイヤが削れていた。



  オーノゥッ!!



「タ、タ、タイヤが削れてる!!?」
  右リアタイヤのサイドウォールに、レコード盤の溝のような傷が何本もついていたのである。
  うーん、セ・シボーン(意味不明)。

「い、いったいこれは……」

  おそるおそるさわってみる。

  深さは約1mm。
  浅いといえばいいのか、深いといえばいいのか……。
  傷のつき方から察するに、どうやらリアフェンダーの内側と干渉してできた傷のようだった。
「タイヤが太すぎるのか?」
  ミジェットの足回りは標準仕様だと、4J×13のホイールに145/13のタイヤを履くことになっている。しかしぼくのミジェットは買った時点で5.5J×13のホイールに165/13のタイヤ(K'GRID)を履いていた。
  つまりホイールのオフセット+2cm太いタイヤの組み合わせにより、標準よりタイヤが外へ張り出している状態なのだ。
  『レボリューション』という名のそのホイールは見た目が非常に男気にあふれているのでかなり気に入っていたし、165のタイヤはいかにも四肢を踏ん張っている感じがあって「かっこよろしいなーキミ」とホレボレしていたものだ。

  でも削れたらあかん。

  もうドライブどころではない。
  さっそくその足でミジェットをショップへ連れていった。
「先生、先生!  うちの子がッ!」
  何事かと現れた社長は、削れたリアタイヤを見るなり眉をひそめた。
「やや、これはひどい……」
  さっきぼくがやったように、社長も溝の深さを手でふれて確かめた(セ・シボーンとは言わなかったが)。
「タイヤが太すぎるんですかね……?」
  疑惑の目をタイヤに向けつつそうたずねてみたところ、社長はしばし考えたのち、ミジェットのリアフェンダーを上からグイグイと押しはじめた。
「ふーむ」
「な、なにか……?」
「足回りが終わってますね。だからボディが沈んだ時にタイヤと当たってるんでしょう」
「足回りが?」
「そう。ほら、KAZさんがこのミジェット買うときに言いましたよね。足回りがもうかなり“済んでる”から、近々交換したほうがいいかもって」
「あー、そういえば……」
  たしかにそんなことを言われた記憶があるような気がするが、ミジェット納車のその日、ぼくはお花畑をラララと駆けていたので、そのようなアドバイスが耳へ届いているはずもなかった。
  たしかに社長の言う通りだった。ミジェットの足回りはすっかりイッていた。
  はっきり言ってブヨンブヨンなのである。
「ま、少しぐらいブヨンブヨンでも走れりゃいっか」
  とオーナーは脳天気に考えていたわけだが、これが少しどころじゃなかったからまずい。
  この時点でミジェットの足回りがどんな状態だったかというと、ボディを上からグイッと押したら揺り返しが2〜3回来る、というぐらい。つまり路上のギャップに乗ると、
「ぶわんぶわんぶわん」
  まるで波間の小舟のように上下してしまうのだ。
「ぶわんぶわんぶわん」
  うーん気持ちい〜い……などとヨロコんでいる場合ではない。
  その「ぶわんぶわん」のストロークが大きいとき、タイヤハウス内側の出っぱりがタイヤをサクサクと削っていたのだ。

  ぶわんサクッぶわんサクッぶわんぶわんザクッザクッ。

  おそろしい話である。

「左のタイヤは削れてないんスね」
  社長が反対側を覗き込んだ。
  そうなのだ。削れているのはあくまで右のリアタイヤだけであって、左のタイヤは傷ひとつない。買った当初のままの姿を保っている。
「これはいったいどういうことなんでしょう?」
  右のリアタイヤだけがサクサク削れていることに、ぼくは少なからず疑問を抱いた。削れるなら右も左も両方削れてもよさそうなもんだけど、実際は右だけが被害にあっている。
  この率直な疑問に対してショップの社長は「空車時に対する、人が乗ったときの微妙なバランス変化が関係しているのではないか」という回答を返してきた。
  えーっと、どうもそういうことらしい。
「足回りがそろそろやばいとは思ってましたが、いやしかしここまでなるとは……」
  社長はポリポリと頭をかいて「こりゃまいったな」とつぶやいた。
  買った時点ではタイヤは新品だったから、もちろん傷なんかない。社長としても、劣化した足回りの余波がまさかタイヤにまで及ぶとは予想していなかったようだ。
「とりあえずダンパー換えましょうか。ダンパー換えてストローク量を抑えれば、少なくともタイヤを削るなんてことにはなりませんから。しかし……」
  社長はくるりとぼくに向き直った。
  その目は「大丈夫ですか?」と無言のうちに問いかけていた。
  しばし黙り込む貧乏サラリーマン。

  お金はなかった。
  本当になかった。
  財布の中はお札よりレシートのほうが多かった。

  どこをどう絞ってもダンパー交換資金など出てくる気配はなかったし、そのうえミジェット本体およびモンキーのローンが現在進行形なのである。
  まさかマフラーの時のように「2万円で」なんてできるはずもない。
「うーん……」
  腕組みして考え込むぼくを見て、社長もしばらく考えた。
「すぐ……しなくちゃいけないでしょうか?」
「ん?  うーん……。まあしばらくなら大丈夫でしょうけど」
「しばらく、ですか……」
「ある程度まで削れたら、それ以上は削れないでしょう。それにクリアランスから考えても、タイヤがバーストするまで削れることはありませんし……」
  やや口ごもった言い方ではあったが、その言葉でぼくの心は決まった。
「ふ、冬のボーナスが出た後で、やろっかな……」
「じゃあ車検と一緒にやっちゃいますか。ちょうど2月ですから」
「そ、そうですね……」
  この段階で冬のボーナスの使い道はほぼ決まった。
「社長、ちなみにダンパー交換はいかほどの値段で……」
「前後いっぺんにやります?  それともひとまず後ろだけ?」
「え、えーっと、やっぱ両方やると高いですよね」
「そうっスね」
「ほんとは両方やったほうがいいんですよね」
「そうっスね」
「…………」
「…………」
「じゃ、後ろだけとりあえず……」
「リアだけですね。了解しました」
  やっぱりね、という顔で社長は小さくうなずき、「で、費用ですけど」と言葉を続けた。
「どのダンパー入れるかにもよりますが、ざっと……」
「ざっと……?」
「車検と同じぐらい、と考えておいてください」

「ロ、ローンでお願いします、ね……。あはは……」



  それから3カ月が経った1994年1月下旬、ぼくは車検のためミジェットをショップへ入院させた。
  右のリアタイヤの削れ具合は幸いにしてそれほど進行しなかった。
  だからといって安心することはできない。
  社長との約束通り、即ダンパー交換である。
「そのダンパーなんですけどね、ミジェットのはちょっと変わってるんスよ」
  作業の打ち合わせで社長はこう切り出し、実際に見せましょうとミジェットのステアリングを切り、フロントの足回りが見えるようにした。
「ほら、見えますか?」
  言われてみると、たしかに普通じゃない。普通じゃないといってもべつに輪ゴムで留めてあるとかであるわけじゃなく、つまりそこにあるべき筒状のダンパーがどこにも見当たらないのだ。
「ミジェットのダンパーはレバー式ってやつでしてね、簡単にいえば途中で『く』の字に折れ曲がるヤツなんスよ」
  えーっと、どうもそういうことらしい(メカ音痴につき)。
  とにかくミジェットのダンパーは標準仕様の場合、通常の筒型(テレスコピック)ダンパーではないということで、今回の交換にあたってそのあたりをどうするか、という話なのだ。
  選択肢は2つ。
・オリジナルのレバー式ダンパーを継承して交換する
・テレスコピック式ダンパーへコンバージョンする
「どっちがいいんですか?」
  自分では判断できなかったので率直にたずねる。すると即座にコンバージョンをすすめられた。
  理由はいくつかあったが、いちばん大きな理由は「メンテナンスが楽になる」ということのようだ。アフターパーツの豊富さやメンテナンスの容易度などをふまえ、あとあとのことを考えればここで普通のダンパーに換えたほういいのでは、ということらしい。
「ただしボルトオンでは付かないんで、新しくブラケットを増設しないといけないんスけどね」
  ふーむ……。またお金が飛んでいきそうな話だ。しかし迷う余地はない。迷ってる間にも、タイヤはサクサク削れていくのだ。
「そ、それ、いっといてください!」
  なかばヤケクソ気味にぼくは答えた。どうせ派手にお金を使っちゃうんだから、たかだか数千円だか数万円の上乗せぐらいどーってことないわいチクショー!

リフレッシュなったリアの足回り。ダンパーは銘柄の“らしさ”とミジェットへの適合、そして予算と相談した結果「スパックス」をチョイス。トラックのようなリーフスプリング(板バネ)にスパックスのダンパーが、いかにも英国車ってカンジー(女子高生調)。ダンパーを支えている下の出っ張りが新設したブラケット


  ──こうしてぼくにとって初めてのミジェット車検、そしてリア足回りのカスタマイズが終わった。
  終わってみれば車検自体は税金もろもろ全部込みで12万円ぐらいで済んだ。とくに特別な整備も必要なく、ショップのメカニックが、
「ああっ!  ここがこんなことに!」
  とか、
「これはひどい……」
  などと目をそむけるような事態も発見されなかった。
  ふー、やれやれ……。
  結局というか、やっぱりというか、普通の国産車と同じぐらいの値段で済んだわけで、「あぁ、いったいいくらかかるのか……」などと恐れおののく必要などまったくなかったわけである。
  しかし。
  車検は12万で済んだが、同時におこなったダンパー交換では車検総費用に匹敵する額の万札が旅立った。
  わがローン伝説に新たなる1ページが刻まれた瞬間だ。
「おまえバッカじゃねーの!?  あんなボロにそんなに金使ってどーすんだ!?」
  口の悪い会社の先輩は冗談まじりで、しかしなかば本気で呆れながらぼくの肩をバンバンと叩いた。
  いいんスいいんス好きなんスから、どうせぼくは「ローンウルフ」っスから……と自虐的に笑いながら答えつつ、「ほんとにいいんだろうか、これで……?」とちょっぴり不安になったのもまた事実。
「いったいこの先どうなることやら……」
  今回のことなどまだまだ序の口なのだとは知る由もない、ミジェットに乗りはじめてやっと半年の草の根エンスー24歳の早春だった。



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