vol.05 押し寄せる洗礼


  1993年、秋。
  KAZは、ミジェットで夜のドライブに出かけた。
  幌を開けて、走った。
  涼しかった。
  
「いやあー、気持ちがよかったですね。風がね、すごくこう……心地いいんですよね。それまで夏しか走ったことないじゃないですか。ああ、秋のオープンドライブって、こんなに気持ちがいいんだなあって。またたく星を見上げながら、このままどこまでも走っていきたい、そんな気分でしたね」(KAZ)

「そんなKAZさんに、このあと試練がおとずれます」(久保純子アナ)

  突然のトラブルだった。
  ギアが入らなかった。

  クラッチが、死んでいた。

  わが家まで、20km以上あった。
  午後10時30分。
  助けは呼べなかった。
  緊急会議が開かれた。
  しかし2人しかいなかった。

  KAZは考えた。
  彼女を家に帰さなくてはいけない。
  自分もまた、ここで夜を明かすわけにはいかなかった。
  プレッシャーが、重くのしかかった。
  
「……さて、クラッチが切れないという決定的なトラブルに見舞われたわけですが……、KAZさん、そのときいったいどういうお気持ちで?」(国井雅比古アナ)

「終わったな、と。帰れないな、と。なんでこうなるの、と。おもわず萩本欽一ジャンプしましたね(苦笑)」(KAZ)

  KAZはまだ考えていた。
  そのとき、ひとつの考えが浮かんだ。
  これしかない。
  KAZはギアを4速に入れたまま、エンジンを始動させた。
  最後の手段だった。
  KAZは祈った。
  南無大師遍照金剛……。
  KAZは真言宗だった。
  
  奇跡が起きた。
  ギアを入れたまま、エンジンがかかった。
  ボディを震わせながら、ミジェットは少しずつ、走りはじめた。
  車内が喜びに包まれた。
  
「さて、こうして無事に再スタートを切ったKAZさんとミジェットでしたが、このあとまたまた試練がおとずれます」(久保純子アナ)

  ミジェットは再び走りはじめた。
  誰もがこれで家に帰ることができると、思っていた。
  4速発進に成功し、安堵の息をつくKAZの目に、信じられない光景が映った。

  赤信号だった。



「うっそぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

  しかしうそではない。
  目の前、およそ30m先で、赤信号がこうこうと灯っていた。

  赤信号だ。
  止まらなくてはいけない。
  しかし赤信号で停止することは、すなわちエンジンも止まることを意味している。

  そんなのいやだ!
  せっかくかかったのに!
  せっかく苦労して走りだしたのに!
  やだやだやだったらやだ!

  しかしダダをこねたところで信号は「俺が法だ」とばかりに“止まれビーム”を赤く照射しつづけている(ま、たしかに法なんだけど)。
  スピードを落としながら、しかしミジェットはどんどん赤信号へ接近していった。
「どどどどどどうしよう!?」
  幸い信号までまだ距離がある。後続車がいないことを確認してから、じわり、じわりとアクセルを戻していった。赤信号も、やがて青信号に変わるはずだ。接近スピードを落としつつ、走りながら赤信号をやりすごそうという作戦である。

  スピードが少しずつ落ちていく。

  うぉー、もったいない……。
「は、早く青になってくれ!」
  じりじりとした焦燥感のなかでふと信号を見つめ直したぼくは、赤々と点灯する信号の下にある標識に気がついた。


「おのれ誰じゃボタン押したんはー!!」

  車なんて走ってないじゃん!
  ボタン押さなくてもいいじゃん!
  安全確かめて横切ればいいじゃん!

  血走る眼で信号付近を睨むぼくの視界に飛び込んできたのは、ヨタヨタと横断歩道を渡っている真っ最中のババア……いや、おばあさんの姿だった。

  むむっ、ばあさんか……。やけに夜ふかしな老人だぜ。
  それにしても……。

「お、遅い……」

  そろそろネジが切れかかっているのか、おばあさんは見ているこちらがハラハラするほど歩くのが遅かった。
「た、たのむ!  早く渡ってくれい!」
  さすがにおばあさま相手に無理強いはできない。
  彼女が任務を無事早急にまっとうすることをひたすら祈りつつ、ぼくはミジェットをさらに減速させていった。

  40km……35km……30km……24km……。

  ギアボックスが「ガクガクガクッ」と激しく揺れはじめた。
あたしもうダメ……
  がんばるんだミジェット!

  20km……14km……。

もうダメ……あたし止まっちゃう……。ごめんなさい……
  ダメだ!  止まっちゃいけない!  目を開けろバシバシッ!

  ガクガクガクガックンガックンガックンガックン

さ……よ……な…………ら……
  おおおーい!  目を覚ますんだァァァァァッ!



「よっこらせ」
  はううっ、ババアがフィニッシュ!

  すかさずアクセルをそおーっと踏んでいく。

  17km……22km……36km……

  そうだ!  いいぞがんばれミジェット!

  48km……52km……60km!

  ふうううううううううう…………。

  ミジェットは再び時速60km巡航へもどった。

「やれやれ…………」
  しかし息をついたのも束の間だった。

「あ、前……!」

  彼女が小さく叫んだ。
「え!?  なにナニ!?  なに……って、ウソーッ!!」

  進路上に車が1台停車している。

  かなり前を走っていたはずのセダンだ。
  どうやら右折したいらしく、のんきにウィンカーなんぞをチッカチッカさせている。
  右折するのは自由だ。しかし……、
「きさま、なぜ車線のドまんなかで停止するーっ!?」
  右折するならキミ、フツーは「ちょっとここらで右折するんで、すんません、ちょっと真ん中寄りに止めるんで、左のほうへ避けて通ってやってください、すんまへん」なーんて感じでセンター寄りに止めるだろーが、あーん!?  なのになんで車線のド真ん中ぁ!?
  最悪のポジションである。

  再び減速するミジェット。

「はよ曲がれえええ……」
  右折しようとするそのセダンに対して、ぼくは両眼からはよ曲がれビームをマックスパワーで照射した。
  しかしヤツはほとんどいない対向車に過剰なまでに慎重で(あ、いま右折できたのにアホーッ!)、なかなか動きだそうとしなかった。

  イライライライライライライライラ。

  こーなったらしかたがない。
  おれは猛烈なパッシング攻撃に出た。態度が悪いからもう「ぼく」ではなく「おれ」なのだ。
「オラオラオラ!  さっさと曲がらんかいボケーッ!!」
  このオラオラパッシングが効いたようで、ヤツはあたふたと脇道へ右折していった。
  このときすでにミジェットとセダンの距離、約5m。
  間一髪であった。

  ふうううううううううう…………。

  ミジェットはまたまたジワジワとスピードを上げていった。



  やがて国道はガラ空き状態になった。信号もスットコドッコイ右折車もなくなり、もはや行く手をさえぎるものはない。時おり現れる信号も、この時間とあってはすでに点滅信号。「ま、気をつけて通りんさい」と讃岐弁でおだやかにたたずむばかりである。
  しかし。
  先ほどの押しボタン信号とスットコドッコイ右折車のような障害がこの先ないとは言い切れない。
  というか、きっとある。
  いまのミジェット(と乗っているふたり)にとって事態は依然として深刻だった。
  ミジェットはいわば“離陸できない飛行機”だ。
  いったん空に舞い上がった(走りだした)以上、止まることは許されない。
  止まればすなわち、そこに待つのは……『死』。
  ごめん、ちょっと大げさ。
  とにかく止まれないのである。山本リンダは『どうにも止まらない』らしいが、ミジェットは『どうにも止まれない』のである。
  この先、家路はまだ遥か。
  おそらくどこかで我々を待ち受けているであろう信号およびその他もろもろの攻撃に暗澹たる思いを拭いきれなかったが、行き交う車のない状態はしばらく続きそうだ。ひとまず事態は休戦状態に入ったようだった。



  ようやく落ち着きを取り戻し、一人称も「おれ」から「ぼく」へと戻った草の根エンスー23歳は、とりあえず例によって現在の状況を冷静になって考えてみた。

  駆動系トラブル。
  4速ギアのみで走行。
  うーむ、まるでセナかシューマッハみたいでカッコイイではないか。

  いやいや、そういう問題じゃない。
  そもそもクラッチが切れなくなったことが今回の事態を招いてしまったのである。
「どうしてクラッチが切れなくなったんだろう?」
  同じく落ち着きを取り戻した彼女が、ぼくにストレートな質問を投げかけてきた。
「ふーむ…………」
  適当な答えはすぐには浮かばなかった。
  ためしにクラッチを踏んでみると、いつもならかなり踏み応えのあるペダルが、気持ちよくスカ〜ッと奥まで入っていった。
  クラッチが逝っているのはまちがいない。
  原因はなんなのか?
  それを突き止めるには、しかしぼくのメカ知識はあまりにも少なすぎた。
「ああ、こんなときメカに詳しかったら!」
  整備士通信教育の広告みたいなフレーズをほざきつつ、足りない脳を駆使してしばし考えてみる。

  …………そうか。
  もしかしたらクラッチ液がないのかもしれない。
  油圧で作動するクラッチにはしかるべき液(フルード)が必要であり、その液がなくなると大変なことになる、ということぐらいはメカ音痴なぼくにも想像がついた。
「ひょっとしたらクラッチの液がないのかも……」
「漏れてるの?」
「たぶん……」
「じゃ、急に切れなくなったわけじゃなくて、少しずつ切れが悪くなっていたとか……」
「…………」
  そういえばそうだ。
  もしクラッチ液が漏れてたんなら、だんだん切れが悪くなっていくわけで、どこかの段階で「ん?」と事態の悪化に気がつくはずである。
  言われてみればたしかに、ここ何日かギアが入りにくくなってたような気がする。

  ふーむ、そうか。そうであったか。

  ミジェットはここ最近のあいだに「ねえちょっと、クラッチがだんだんやばいかもよ。そのうち切れなくなるかもよ」と、それなりに合図を送ってきていたのだ。その時点で、しかるべき箇所を点検するなり補充するなりしておけば、たぶん今回の事態はまぬがれたはずである。
  しかしぼくは気づかなかった。
  しまったなあ……。
  しかしいまさら後悔しても遅い。
  現実をみろ。いまこうしてミジェットはクラッチが死んだまま走っている。
  いまおまえがすべきなのは、このミジェットでなんとか無事に家まで帰ることなのだ。そして彼女も無事に家へ送り届けるのだ。
  
  そうだ!  そうなのだ!
  とにかく、いまここにある危機をくぐりぬけるのだ!
  
  突然のトラブルとその対処でぐったりきていたぼくではあったが、とりあえずここは踏んばらねばと気合いを入れ直し、そのまなざしをキッと前方へ投げかけた。
  その眼に映ったのは……。

  赤信号だった。

  ぬおおおおおおおおおっ!



  ……ボロロォン、ボヘボヘボヘ。

  アパートの駐車場にミジェットはよっこらしょと進入した。
  いつもはお尻から入れる駐車スペースに、ボヘボヘと頭から突っ込む。
  キュッとブレーキを踏んだ瞬間、ミジェットは息絶えた。

  ふうううううううううううううううう……………。

  極度の緊張から解放され、ぼくは7.2秒ほど大きく息を吐いた。

  疲れた。

  止まれない。
  ただそれだけでこんなに疲れるなんて……。
  とにもかくにも帰ってきた。
  疲れてホッとして、そしてやっぱり疲れ果て、ぼくはしばらくシートから身体を起こすことができなかった。助手席の彼女もまたグッタリとシートに沈んでいる。

  ……あの赤信号が、結局最後の関門になった。
  どうクリアしたかって?
  いえね、もうね、今度は信号待ちの列ができてたのね。車の。
  だからもう速度を落としてやりすごすとか、そういう小細工きかなかったのさ。
  んなもんで、とっさに逃げ込んだのさ、路地裏に。
  そしたらね、そこがね、住宅街だったのさ。
  もうね、道幅せまいし暗いし十字路ガンガンあるし、これで自転車とか車とか人とかが横から出てきたら最後だなって覚悟してね、そんでもまあとりあえず進んでいったさ。
「来ませんように、どうか横から車が来ませんように……」
  祈ったさ。十字路ぜんぶ突っ切ったさ。『止まれ』の標識もぜんぶ無視したさ。
  でもまあ、こういうときに限って来るんだよね、車が。横から。
  いくつめかの十字路を限界徐行で突っ切ろうとしたらね、来たのさ車が。横から。バーッってヘッドライトつけて。
  もうね、踏んじゃったよブレーキ。反射的に。
  そしたらね、エンジンね、止まっちゃったさ。プスンって。
  あわてたさ!  あーもうこれで終わりだ帰れねーって思ったさ!
  でもね、もうこれは運がいいとしかいいようがないね。
  そこがね、たまたま下り坂だったのさ。
  もうダメだーって時に「ちょっとだけよ」ってほほ笑んでくれたのさ、女神様が。
  その下りの惰性を使って、またおんなじようにエンジンかけたのさ。
  無事かかったよ!  あーもう見事にね。こんときばかりは「おれって天才!?」って思ったね、ちょっと。エンジンかかったんだよ、いやほんとに。
  幸運はまだまだ続いたね。
  その路地が、進んでいくうちに家の近所につながってたのさ。いやー、もうほんとラッキー!  車もいないし信号もない。もう奇跡だね。いやほんとに。いくら夜中っつーても車の1台や2台は走ってるし、信号だってぜんぶ点滅になるわけじゃないし。でも大丈夫だった。ぜんぶクリアできた。もうね、これはラッキーとしかいいようがないね。ふだんの行い、べつにいいわけじゃないんだけど、いやもうほんとラッキーだった。ラッキーにラッキーが重なって、そういやむかし「ラッキーマン」ってマンガがあって、そいつめちゃくちゃ弱いくせに「あっ、100円みーっけ」とかいって屈んだ瞬間に敵が飛びかかってきて後ろの壁に激突して死んじゃって「あれ?  なんか知らないけどラッキー」って勝っちゃうみたいなマンガだったけど、まさにそれ。もうそんな感じ。いやほんとツイてたね。

  はぁ…………。

  もう疲れてくたびれてハイになって読者に経緯を説明しまくってしまったけど、とにかく無事に帰ってくることができた。
  時計はすでに真夜中をすぎていた。
  こういう場合、「よくがんばったな」とミジェットをほめてやるべきなのかどうか、いささか複雑な気持ちになる、秋の午前0時24分。

  さ、これから彼女を家に送っていかないと……。



  後日、ショップに事のあらましを連絡をした。
「それはクラッチの液がなくなってるんじゃないんスかね」
  やっぱし!
  で、ボンネットを開けてショップに教えられたとおりにクラッチフルードのタンクを点検すると、まーこれがものの見事にスッカラカンだった。
  どこからか少しずつ漏れていたようだ。
  日をあらためてショップに行ったぼくは、「これをフルードタンクに入れてみて」と『DOT4』なる液体缶を渡された。
「空気の泡が混入しないように、静かにそーっと、ゆっくり少しずつ入れないとダメっスよ」
  なるほどそういうものなのか、とうなずきつつ帰宅し、言われたとおりにDOT4を補充。指示レベルまで入ったところでフガフガとクラッチペダルを踏んでみる。すると次第にペダルの抵抗が増していった。
  これでクラッチはひとまずちゃんと切れるようになった。
「でも液がなくなったということは、どこからか漏れているはずですから、一度診てみましょうね」
  ショップのすすめもあり、自走できるようになったミジェットで再びショップへ。
  診断の結果、劣化したクラッチホースのあちこちから少〜しずつ液が漏れていることが判明した。それがなにかの拍子でブワッと一気に漏れていき、タンクがカラになってしまったということだ。
  しかも追い打ちをかけるように、クラッチのマスターシリンダーが寿命を全うされていた。
  本来ならペダルを踏むとマスターシリンダーがグーッとクラッチフルードを押しやり、その油圧でクラッチが作動するようになっているのだが、シリンダー内壁がガバガバ状態で油圧が下がり、ただでさえ切れにくい状態になっていたというのだ。
「最近クラッチの切れが悪くなかったっスか?  たぶんそういう症状が出てたはずっスよ」
  ショップの社長のこの言葉に、4速発進で帰ってくる途中での彼女との会話を思い出した。

「じゃ、急に切れなくなったわけじゃなくて、少しずつ切れが悪くなっていたとか……」
「…………」

  そうなのだ。
  注意していれば気づくはずのトラブルだったのだ。
  ミジェットはずいぶん前から「クラッチがそろそろやばいぞ」と合図を送っていたのに、ぼくは土壇場までそれに気がつかなかった。
「愛車の悲鳴に気づいてこそエンスー」
  うーむ、まだまだ未熟だなあ……。
「で、直りますか?」
「もちろん。とりあえずマスターシリンダー、アッセン交換ですね」
「えーっと、それはいかほどの値段で……」
「うーん、○×万ぐらいッスかね」

  エンスーの道はヒッジョーにキビシィーッ!(財津一郎風に)



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