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お盆が過ぎ、高校野球が閉幕して、1993年の夏は終わった。
夏の終わり。
毎年この季節になると、誰もいない砂浜にたたずみ、「夏が消えてゆく……」などと稲垣潤一風に鼻声でつぶやいてみたくなるものだが、この年はそんなおセンチな気分を洗い流すようにひたすら雨が降っていた。
とにかく雨ばかりの夏だった。
なにかこう夏らしい風情がいまひとつ盛り上がらないまま8月が去り、ちょっと油断している隙に梅雨前線は秋雨前線と呼び名が変わっていたりもする。結局、梅雨明け宣言は出ないままだった。
雨ではじまり、雨のなか去っていた夏。
それでもひとまずカレンダーはハラリとめくられ、季節は初秋の気配になりつつあった。
ミジェット?
ミジェットは元気です。いやほんと。
あのころ(1ヶ月前だけど)さんざん壊れまくったのがウソのようだ。ほんとにウソだったらいいんだけど、交換したマフラーの溶接跡にはミジェットの夏の記憶がたしかに刻み込まれている。
『肩に残る水着のあと』ならバラードの一曲でもつくれそうだが、『排気管に残る溶接跡』では労働哀歌のようでややむなしい。
それはともかく、たいしたトラブルもなく、ステアリングを交換して心機一転で調子が落ち着いてきたミジェット。
なんの問題もないことをこれ幸い、鬼のいぬ間のなんとやらで、ぼくはミジェットをあちこちへ連れ出した。
おりしも季節は初秋。冷夏のなごりもあって、すごしやすい気候になってきた。まさにオープンカー日和というやつである。雨が降らないかぎり週末はいつもミジェットか彼女のロードスターというオープンカー漬けの日々が続いた。
幌を開け放ち、風の声を聞き、空を仰ぐ日々。
快調きわまりないミジェット。
なにもかもが順風満帆だった。
しかしアレです。トラブル続きというのもナンだけど、まったくなにも起こらないというのも、かえって人を不安にさせるものである。
なにか起きるんじゃないか、そのうちとんでもないトラブルが起きるんじゃないか。
「幸せすぎて、アタシなんだか怖いわ……」
ひとときの幸せを噛みしめつつも、よからぬ不安がふと頭をもたげてしまう。
その不安はある日、現実のものとなった。
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とある休日。
朝から久しぶりによく晴れていた。
「そうかそうか。そういうことならちょっくら……」
ぼくはいそいそと準備を整え、ミジェットが待つ月極駐車場へ向かった。
駐車場のいつもの位置に、いつものようにたたずむミジェット。その小さなドアから滑り込み、エンジンを始動させ、いつものように暖機運転をはじめる。
その間を利用して幌を開け、再び車内に戻り、「うーん今日はどのカセットを聞こうかぬぁーっと」などと桂小枝風に助手席のカセットボックスに手を伸ばす。
ここまではいつもと変わらない光景だった(桂小枝も含めて)。
問題はこの次だ。
「よーし、ここは一発チャゲ&アスカあたりいっとくかな……って、ねーよ!!」
ない!
ないぞ!?
カセットがない!
チャゲアスのカセットがなくなったのではない。
いつも助手席に置いてあるカセットテープ入れが、まるごとそっくり消えていたのだ。
助手席の足元からシートの下、シート後ろの物置きスペース、果てはトランクの中から車の下まで探した。しかし20本のカセットテープが収められたボックスは結局どこにも見当たらなかった。
もしや、という疑念が確信へと変わった。
「やられたぁ……」
車上荒らしの仕業だった。
ヘナヘナと力が抜けていくと同時に、「やっぱりこういうことになっちまったか」という思いがよぎった。
ぼくのミジェットは、アパートから少し離れた月極駐車場に置いていた。
アパートにも入居者用の駐車スペースが一応用意はされているのだが、入居者全員分はないとかで、ぼくが借りようとしたときはすでに満車状態だった。
しかたなく「スペースが空いたら借ります」とキャンセル待ちの予約を入れたのち、不動産屋の紹介で近所の月極駐車場を借りた。
月極駐車場はアパートから直線距離にして300mほど、徒歩3分というロケーションにあった。アスファルトで全面舗装され、白線できっちり区画分けされた、まあまあ立派な駐車場である。
しかしどういうわけか、やたらめったら広い。
大きな建物か工場の跡地なんだろうか、とにかくだだっ広くて、少年野球なら2試合、レスリングなら40試合、将棋なら137局は同時にできそうである。
わかりやすくいえば、ざっと100台は駐車できそうなのである。
ところが、どうやら周辺地区にはそれほどの需要はないようで、駐車されているのはいつも10〜15台ぐらいだった。寂しいかぎりだ。これでいいのか管理人。
ミジェット用のスペースはこの広大な駐車場の端のほうにあった。広いし駐車しやすいし賃料も安いし(月5,000円)ということでおおよそ満足はしていたのだけど、このだだっ広いスペースに水銀灯がほとんどないのが唯一心配だった。夜になると真っ暗になるのである。
さっきも言ったように、ぼくのミジェットはその広大な駐車場の端のほうにとめてある。この場所、夜になったら完全に闇の中に溶け込んでしまうのである。駐車場は幹線国道に面しているから夜になっても通行量はそこそこあるものの、ミジェットのあるスペースは国道からかなり離れているため、むしろ国道のにぎわいが駐車場の闇を際立たせているようにも感じられる。
まさしく車上荒らしには「むひょひょひょー」なシチュエーションなのである。
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駐車場を図で示すと、このような状況にある。しかしなんでまたこんなに広いんだ?
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夜のドライブを終えて駐車場にミジェットをとめ、アパートに帰ろうとするとき、ぼくはたびたびミジェットのほうをふりかえっては「イタズラされませんように……」とお祈りしたものだ。
しかし不安は現実になってしまった。
「おのれルーパーンーめー!」
幸いミジェット自身に傷がつけられたり、なにかのパーツをはぎ取られたといった被害はなかった。
しかし“20本のカセットテープ盗難”という事実はかなりショックである。
「コラーッ! そのテープはおれがコツコツとダビング編集したオリジナルベスト盤ばかりなんだぞ! そこんとこわかってんのか!」
どのテープもA面からB面へ切り替わる時間を限りなくゼロに近づけるため編集時間を計算しまくった汗と涙とヒマの産物だった。CDと計算機、カセットテープ、そしてステレオを相手に格闘し、ああ何度夜明けを見たことか……(そんなことで徹夜するな)。それがどっかのアッタマ悪いコソ泥に20本ごっそり持っていかれたのである。てめーコノどうせ山下達郎とか大滝詠一なんか聴かんくせに! あーちくしょーおれの青春を返せー!!
しかし……。
あらためて考えると、ミジェットには“セキュリティ”という概念がほとんどないに等しい。
今回のテープ盗難の手口もなんとなく予想はついた。ちょっと頭を使えば車内の物を取り出すことなど簡単にできそうなのだ(具体的なやり方はさすがに伏せておく)。それなりの技術をもったやつがその気にさえなれば、ミジェットをそのまんま運び去ることだってありえない話ではない。
「むーん、これはまずいぞ……」
いつまでもあの月極駐車場に置いておくのは得策ではない。なるべく早いうちに目の届く範囲へミジェットを移さねば、と考えていた矢先、アパートの管理人から吉報が届いた。
「駐車場、空きましたのでどうぞ」
待ってましたヒューヒューッ!
さっそくぼくは月極駐車場を引き払い、ミジェットをわがアパートの駐車場へと移した。
アパートの駐車スペースはもちろんアパートのド真ん前にある。周囲や歩道からは塀や垣根で隔絶されているし、自分の部屋からヒョイと顔を出せばミジェットがばっちり見える場所である。
目の届く範囲にミジェットがある、というのはとても安心なものだ。
「よーし、これでもう安心だぞミジェット」
眼下にたたずむミジェットに満足げな笑みを浮かべつつ、ぼくは20本のカセット再生をめざして連夜のダビング作業に精を出した。
カセットテープ盗難の痛手は大きい。しかし駐車場が目の前に移ったことで、ひとまず事態は収束したかに思えた。
たしかにこの事件はこれで終わった。
しかしこのときすでに、さらなる悲劇がすぐ背後で準備運動をはじめていた。
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カセットテープ盗難事件から約1カ月後。
水曜の夜だった。
午後7時をまわった頃、ぼくはネクタイをゆるめながら会社を出た。コトデンに揺られ、駅に降り、慣れた手つきで定期券を出す。あとはアパートまでゆっくり歩いて帰るだけだ。
10月のカレンダーが残り数日になっていた。ここ数日、夜が急に肌寒く感じられるようになってきた。秋の気配に背中を押され、家路につく人たちもなんとなく足早になり、このあたりの言い回しもなにやら森本レオ調になってしまうような、そんな夜だった。
街灯のないまっくらな夜道を、ザックザックと土を踏みしめながら歩いていたぼくは、ふと空を見上げた。
思いがけずたくさんの星が輝いていた。
ただそれだけの理由で、「ミジェットで走ろう」と決めた。
アパートへと駆け足で帰り、彼女にTelephone Call。「月が5度傾くまでに迎えにきてね」という彼女のひと言がナイトクルージングのはじまりなのサ(BGM:Star Dust Memory)。
このように一連の言動およびBGMをわたせせいぞう風にとりまとめつつ、1時間後、ぼくと彼女はミジェットとともに夜の国道を走っていた。
高松を離れたミジェットは国道11号を東へ向かう。目的地はとくになかった。
古びた、しかし1975年生まれのミジェットよりは新しいサンヨーのカーステレオでは、スローなバラードを山下達郎のファルセットヴォイスがつむいでいる。
ほの暗いメーターからチラと目をやると、さえぎるもののない頭上に満天の星空。
西の空には、今夜は脇役とばかりに三日月が遠慮がちに傾いている。
ほのかで頼りないその月光が、黒一色のコクピットをぼんやりと浮かび上がらせていた。
ステレオは調子が悪かった。曲を再生している途中、なにかの拍子でA面からB面へ急に切り替わってしまう。そのたびに彼女の白い指がゆっくりとのび、テープを取り出し、裏返して、またセットする。風が鳴るコクピットに静かな歌声が、たおやかにハーモニーを重ねはじめた。
ジェットストリィィィィム……。
夜のオープンドライブは城達也チックなロマンチシズムをにじませながら、遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流のごとく、ゆったりと流れていった。
ミジェットは快調だった。
このときはまだ。
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津田の松原をすぎたあたりから、風が急に冷たくなってきた。薄着で出てきたぼくらは、たまらずドライブインの駐車場へ逃げ込んだ。
自動販売機でホットコーヒーを買い、手のひらに包んで暖をとりながら、しばしの休憩をとる。
10時になろうとしていた。
平日の遅い時間だというのに、ドライブインの駐車場はけっこうなにぎわいをみせている。長距離トラックの巨体にまじって、若いカップルやグループ、家族連れなどの車が思い思いに陣取り、車の中で、そして傍らのベンチで、楽しげに言葉を交わしている。
ドライブインの駐車場の前には海が広がっていた。闇に沈んだ海を眺めながら、ぼくらはとりとめのない話をポツリポツリと続けた。
吹きよせる潮風に、じわじわと寒さが増してきた。
「帰りは幌を閉めていこう」
ぼくは彼女にそう提案し、彼女はほほ笑んでうなずいた。
ガタピシと幌を閉め、狭い空間にふたりして潜りこむ。
イグニッションキーをさし、エンジンを始動。油圧計と水温計の針が落ち着いた頃合を見計らって、ぼくはいつものようにクラッチを踏み込んでシフトノブを1速へとエンゲージさせ──
グギャギャリリリリィッ!!
へ!?
なにが起こったのかわからなかった。
いや、わからなかったのはほんの一瞬だ。
それは明らかにギアボックスから聞こえてきた。
もう一度、同じ作業を繰り返す。
クラッチを奥まで踏み込んで、シフトノブをいったん2速のシンクロに当ててから1速に送りこ──
グギャリギャリギャリギャリィッ!!
ギ、ギ、ギアが入らねえ……。
「どうしたの……?」
彼女が不安そうにたずねてきた。
「えーと、ント、そのント……」
にわかにントント化しつつ、2速、3速、そして4速と順に同じ行為を試してみる。
グギャリッ!!
ギャガッ!
ゴッ!
まずい……。
ギアはどこにも入らなかった。
1速から4速まで、そしてバックギアにいたるまで、どのギアポジションもシフトノブのエンゲージをかたくなに拒み、ゴツゴツという感触とともに突き返してくるのである。
森本レオ調、わたせせいぞう風、そして城達也チックとムーディーな雰囲気を重ねてきた静かな夜が、この瞬間、音を立てて崩れていった。
夜間飛行の果てに待ちうけていたもの、それは忍び寄る悪夢だった。
ギアが入らない。
なんで!?
なんでそーなるの!?
ぼくの頭の中でハムスターがぐるぐると走りはじめた。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるチーン。
クラッチが切れてない!?
「そ、そうか! これはきっとクラッチが切れてないんだ! そうに違いない!」
さらに!
おそるべき現実にぼくはハタタッと気づいた。
「家に帰れん!!」
シンプルにして究極の問題である。
ぼくのアパートは20km彼方。彼女の家はそこからさらに8km彼方。しめて28km、さらに倍!……いやいや、クイズダービーじゃないんだから倍にしてどうする。
やや錯乱気味に大橋巨泉化しそうになりながらも、ふと冷静になって隣を見やる。
ナビシートの彼女が、膝の上にかけたブランケットを小さく握りしめていた。
帰らなければ……。
彼女には門限がある。
それにぼくも彼女も明日はまた仕事だ。
こんなところでントント化したり大橋巨泉化しているバヤイではないのだ。
ぼくらはいま、今夜、家に帰らねばならないのだ!
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とりあえずエンジンを切り、例によって現在の状況を冷静に整理してみる。
エンジンはかかる。
しかしクラッチは切れない。
つまりギアがどこにも入らない。
ミジェットを動かすことができない。
自分では直せそうもない。
時計を見る。
午後10時27分。
ショップはとっくに閉まっている。
SOSは発信できない。
やはり自分でなんとかするしかない。
でも方法がわからない。
ないない尽くしだ。
ナイナイナイ恋じゃなーい……待て待て、シブガキ隊歌ってる場合ではないのだ。
「どうする? どうする?」
頭の中でハムスターが激しく動き回っていた。
ないない尽くしのこの状況下、いったいどうすればいいんだ……?
帰ろうと思えばいつでも帰ることができる人たちの談笑が耳に届いてくる。その楽しそうな笑い声を背に、ぼくはジリジリと解決の糸口を探っていった。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。
チーン。
「もしかして!」
ぼくはシフトノブに手を伸ばし、グッと握りしめ、それを送り込んでみた。
1速、2速、3速、そして4速。
どのギアにも入る。エンジンを止めているから当たり前だ。たとえクラッチが壊れていてもギアは素直にエンゲージされていく。
「ふーむ……」
やってみるか。
そのアイディアをなるべくわかりやすく組み立てなおしてから、ぼくは彼女に説明した。
「まずエンジンを切った状態で、ギアをどこかに入れておく」
「……?」
「で、そのままエンジンをかけるんだ」
「そんなことしたらエンジンがかからないんじゃ……?」
「そう。クラッチが切れないんだから、普通ならエンストするだろう。でもだよ、もし……」
「もし?」
「もしエンジンがかかったら……」
ぼくの脳裏には『踏切でエンストしたら』の対処法を解説したイラストがあった。教習所でもらう運転の手引きだかなんだかに載っていたそれによれば、踏切を渡る途中でエンストした場合、ギアを入れたままクラッチを踏まずにセルを回し続ければ、エンジンはかからんけどまあちょっとずつは前に進むからそれでなんとか踏切から脱出すればええんちゃうん、ということである。
「もしギアを入れたままの状態でエンジンがかかったら……」
「走りだせる……?」
「そう。ギアが入った状態でエンジンがかかったら、とりあえず走ることはできるんだ。つまり……」
「家に帰ることができる!」
反対する理由はなかった。
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ぼくと彼女はミジェットを駐車場の出口にむけて慎重に押していった。
「ちょっとナーニあれ?」的視線があちこちから向けられるが、ええいほっといてくれおれたちはいまとっても必死なんだ!
ちょうどうまいぐあいに、出口のあたりは国道に向けてわずかに下っていた。その下りはじめの位置にミジェットを停止させ、ぼくらは再び車内に潜り込んだ。
「さて……」
シフトノブを握ってしばらく迷ったのち、ギアを4速に入れた。より少ない抵抗と、より速い巡行速度を選んだのだ。エンジンにとって負荷が少なく、かついったん走りはじめれば一番多用すると思われる4速。「いや3速のほうが……」と一瞬考えたが、いちいち迷っていてもラチがあかない。ここはひとつ自分の直感を信じた。
4速にギアが入ったままエンジンがかかるのか?
はっきり言って自信などなかった。
彼女には「もしかしたら」とは言ってみたものの、その「もしか」とは限りなく見通しの立たない「もしも」だ。
エンジンがかかれば御の字。
かからなければ、それはまたその時。
とにかくやってみるしかない。
切れないとは知りつつ、いちおうクラッチを踏み込む。
イグニッションキーに回した指を、一瞬間をおいてひねった。
ガコガコガコガコッ!
「どわあぁぁぁ……」
も、ものすごい振動だ。
ミシミシとボディを震わせながら、ミジェットは激しく暴れはじめた。思わずキーを戻したくなる衝動をグッとこらえて、ぼくはなおもキーをひねり続けた。
激しい振動の向こうから「うぉぉーん」というスターターの悲鳴が聞こえてくる。
ボディを激しく揺るがせながら、しかしミジェットはゆっくりと前に進みはじめた。
彼女は握りしめていた膝掛けをはなして、ドアのアシストグリップをギュッとつかんでいる。
止まるな!
止まるな!
いけミジェット!!
惰性がついたミジェットは静かに坂を下りはじめていた。身震いしながらもスピードは徐々に増していく。
かかれ!
かかれ!
かかるんだジョーォォォォォォ……。
キュルル、ヴォンア、ァァオヴォ……
きた!
……ロ、ヴォヴォンゥ、グァヴォオオ、オヴォッホ、ヴォヴァ
かかった!
「おっし、いまだ!」
粘り強い低速のトルクをアクセルでじりじりと調整し、無意識に何度かクラッチを踏み込みながら、いまにもストールしそうになるエンジンをすかさずなだめていく。
ヴォッ、ガヴガハッ、ヴォッ、オオロオ……
止まるな止まるな!
もうすぐだ!
もうすぐ駐車場が終わる!
その先は──
右!
左!
国道の流れをすばやくチェック!
どの方向にも車の影はなかった。
ヴォァアグンッ……ルル……ルゥヴォウアヴォオオオオ……。
下り坂をゆるゆると進みながら、エンジンは2000回転弱で徐々に落ち着きはじめた。
慎重にアクセルを踏み込んでみる。
ヴォッ、ボスボスッ、ヴォッ。
せき込むようにボディを震わせつつ、4速ギアのまま、ミジェットはゆるゆると国道へ進入した。
じわじわと、じわじわと、アクセルペダルを踏み込んでいく。
じわじわと、じわじわと、ミジェットは加速しはじめた。
「よしよし、このままこのまま……」
スピードメーターの針はゆるやかに速度を刻んでいく。
20km……35km……40km…………60km。
「やったぞ成功だ!」
4速ギアに入れたままエンジンをかけ、ついにミジェットは時速60kmで走りはじめたのだ。
すごいすごい、と助手席の彼女も大喜びである。
「ふぅ……。よーし、これでなんとか……」
大きく安堵の息をつく。
さて、これからがまた大変だ……と視線を上げたぼくは、息を呑んだ。
信号が、黄色から赤へ、変わっていった。
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