vol.04 初トラブル発生


  納車の次の日、つまり日曜日、ぼくはめずらしく目覚まし時計が鳴る前に起きた。
  なんせこの日はミジェットとドライブである。
  高松を出発して徳島に向かい、調子がよければ高知にまで行ってしまおうという、「アタシちょっと不安……でもほら、胸がこんなに高鳴ってるの」的な、うれしはずかしの初ロングドライブなのである。
「よっしゃ行くぞ!」
  あらためて気合いを入れつつも、気になるのはお天気だ。
  この年、1993年はどういうわけか梅雨がやたらに張り切っている様子で、週末はほとんど雨にたたられるという、まことに意地の悪い天候が続いていたのだ。
  雨といえばオープンカーの天敵である。
  したがって、ミジェット初のロングドライブを計画するぼくとしては「そのへんどうなの!?」とカーテンを開け放って空に睨みをきかせてみるわけだが、はたして当日は曇り空。雲は薄く、時おり陽がさしている。
  ひとまずはセーフといったところで安心しつつ、これ以上天気が悪化しないよう再び空に睨みをきかせて出発。助手席に彼女を乗せ、幌を開け放ったMGミジェットは、街の喧噪を離れて国道を東へと向かった。

  ミジェットはとても快調だ。
  そしてとても運転しやすい車である、という事実にもあらためて気がついた
  グズりもせず、扱いにくいわけでもなく、アクセルを踏めばそれなりに加速し、ステアリングを切ればそれなりに曲がってくれる。ひとまず不安な要素があまりない、という意味で、ミジェットはとても快調であり、とても素直な車なのである。
  もちろん現代の車と比較したら、そのドライブ感覚は古典そのものなんだろう。しかし少なくとも「クラシックカーを動かす」などといった背筋伸ばして咳払いひとつ的な気構えはいらなかった。
  垂直に近い角度のフロントウィンドウには風を操ろうなどという近代的な思想があるわけではなく、速度を上げれば上げるほど上から横から後ろから走行風がビュービューと吹き込んでくる。しかし6月のこの時期、それはむしろオープンカーであることを存分に体感できる小粋な演出にさえ感じられ、オープンカー好き好き人間のぼくとしてはよけいに心が浮き立つというものだ。
  空いた国道をほどよいペースで走り抜け、やがて徳島県に入ると、道はグイッと海へと迫り、左に瀬戸内の海、右に木々深い山を仰ぎみるロケーションへと移り変わっていった。
  潮風が「うふふ……」と優しく微笑みかけてくる。
  助手席の彼女も微笑んでいた。
  停滞していた大気は躍り、コクピットを一陣の風となって駆け抜けていく。
  背後では低く甘いエグゾーストノートが、小気味のいいビートを奏でている。
  信号待ちで見上げれば、薄曇りの空高く、トンビがくるりと輪を描いていた。
  
  あーシアワセー……。


青木海岸にて


  鳴門を抜け、やがて徳島市街へと入っていった。
  ミジェットはあいかわらず快調だ。
  まだ時間もあることだし、このまま高知まで足をのばしてみようか、などと相談していた矢先、手持ちのお金があまりないことに気がついた。
  さっそく銀行のキャッシュディスペンサーに立ち寄り、お金をおろす。
「さあ高知に向けて再出発だ!」
  ぼくは勇躍イグニッションキーをグイッと回し込んだ。

  が。


  キュルルルルルルル。

「ん?」

  キュルルルルルルルルルルルルル。

  おかしいな。
  スターターは回ってるのにエンジンがかからんぞ。

「プラグがかぶったかな?」

  もう一度ひねる。

  キュルルルルルルルルルルルルル。

「あれ?」

  もう一度。

  キュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル。

「…………」

  もう一度……。

  キュルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル………………。






  冷や汗が、背中を流れ落ちた。







  つつつつつ、ついにきた!

  トラブルがついにやってきたのだ!
  ののののの納車されたばっかりなのに!(納車から約22時間経過)
  ここここここんな遠い所で!(自宅から約70km走行)
  あわわわアフあわわアフアフあわ。

  ハッ!
  不穏な気配に助手席をチラリと見やる。
  彼女が不安そうにぼくの顔をのぞきこんでいる。
「えーっと、そのント」
  とりあえず笑ってみせるが、賢明な彼女はすでに事の重大さに気がついているようだった。

  お、おおおお落ちつけ落ち着くんだ!
  こんな時こそ冷静にならねばハァハァハァ……。
  
  キーをオフにし、大きく深呼吸。
  ……とりあえず現在の状況を図式化してみよう。

スターターが回る→ エンジンがかかる(正常時)
エンジンがかからない(異常時)←こっち

エンジンがかからない
  原因1:プラグに火花が飛ばない(電気系)
  原因2:シリンダー内にガスが供給されない(燃料系)

  うーむ……。
  つまり原因は電気系か燃料系にあるようだ。

「と、とりあえずボンネットを開けてみよう」
  
  ガババンッ!(ボンネットを開ける音)

  うす汚れたエンジンルームに、英国生まれの古めかしいOHV4気筒エンジンが横たわっている。
「ふーむ、なるほど……」
  チャールズ・ブロンソン風にマンダムのポーズをとってはみたが、目の前に広がる無機的な眺めはぼくにとって前衛芸術のオブジェのごとく意味をなさなかった。
  しかしこうしてマンダム化しつつエンジンを眺めていてもラチがあかない。
「そうだ!  こういう場合に備えて工具を一式買っていたのだ!」
  トランクを開け、工具箱を取り出す。
  スチャッと開け放ったその中には、ホームセンターで思いつくまま買いそろえたレンチやドライバー、そしてなぜかネジ多数が詰まっている。
「まずは……そう、プラグをとりあえず調べよう」
  プラグコードを外し、エンジンブロックと補器類の間の狭いスペースにプラグレンチを差し込んで、じわじわと力をかけていく。

「ぬおっ!?」

  か、かたい!
  なんでこんなにかたいんだッ!?

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
  レンチ片手に青筋立て、なんとかプラグを外す。
「ふーむ……」
  ちょっとカーボンが付着しているものの、プラグ自体にとくに異状はないようだ。
  他の3本も同じ状態だった。
「さて次は……」
  プラグの先にはディストリビューダーがある。かつて他の車で走行中に、このディストリビューダーのフタが外れてエンジン停止という事態に遭遇したことがあるぼくとしては、かなり怪しむべきパーツである。
  しかしフタはしっかり固定されているし、中の接点に異状があるわけでもなかった。
  スターターは……回ってるんだから異状はないんだろう。
  バッテリーもスターターを元気に回してるぐらいだから、この際はシロ。
  となると……。
「燃料系か?」
  知識がほとんどないキャブレターはとりあえずパスし、その先にある燃料フィルターをチェック。うーむ、ちゃんとガソリンが届いている。燃料ポンプも、もちろん動いている。
  まさか、とミジェットを揺すってみたものの、しっかり「タッポンタポン」とガソリンの音がする。残量は十分だ。

  電気系、燃料系ともにシロ。
  シロート判断だが、たぶんシロ。

  んじゃーナニ?
  どーゆーこと?
  なにが悪いの?
  なにが不満なのさミジェット?
  どーしてほしいわけ?

  街頭で突然アラブ人に話しかけられたみたいに、ぼくはボーゼンと立ち尽くした。





  ミジェットを離れ、ぼくと彼女は近くの木陰に入った。
  とにかく暑い。
  たかがちょっと調べものしただけで、すでに汗だっくだくである。つゆだくは歓迎だが、汗だくはどうもいただけない。
  気がつけば雲が切れ、白く濁ったような青空が広がっていた。
  梅雨のあいまのじっとりとした陽ざしに、町はぐったりとしている。
「さて、どうしたものか……」
  煙草に火を点け、ぼくは次の策に考えをめぐらせた。
  ミジェットは幌を開けたまま、銀行の駐車場に止まっている。キャッシュディスペンサーしかない所だから、駐車場といっても3台止めればいっぱいの小さなスペースである。
  その向こう側、駐車場の背後にはアパートがあった。駐車場のすぐ隣には、そのアパートへ通じる狭い道がある。車1台分ほどの幅しかなかったが、奥行きはけっこうありそうだ。15……いや20mか……。

  …………。

  おもむろに立ち上がり、ぼくは彼女に声をかけた。
「押しがけをするよ」
  立ち往生したらやっぱりこれ。
  押しがけである。
  ぼくと彼女はミジェットをうんせうんせと押し、隣のアパートに通じる小道へと動かす。駐車場のスペースを利用してなんとかUターンさせ、ミジェットを小道の一番奥でスタンバイさせた。
「まず一緒に押す。で、勢いがついたところで飛び乗ってくれ」
  ぼくは彼女に押しがけのやり方を教えた。
「乗ったらすぐにクラッチを踏み込み、ギアを3速に入れてクラッチをつなぐ。エンジンがかかりそうになったら、軽くアクセルを踏み込む。できる?」
  彼女は心細げにうなずいた。
  ぼくがこの作業をすると、彼女がミジェットを押し続けることになる。それは彼女の体力を考えると無理だというのは明らかだった。ギアがつながって抵抗が増えたミジェットを押し続けられるのは、ひとまずぼくしかいないのだ。
  ぼくらはそれぞれ所定の位置につき、ミジェットを押しがけする態勢に入った。
「いくよ?  いい?  せぇのッ……」
  うおおおおおおおおおおおおお…………………………!
  ぼくらは渾身の力でミジェットを押しはじめた。たかだか1トンに満たない車体が岩のように重い。それでもなんとか惰性がつき、ミジェットはするすると進みはじめた。
「よ、よし!  いまだ!」
  ぼくの合図で彼女がミジェットに飛び乗り、クラッチを踏み込んですかさず3速へシフトノブを叩き込んでクラッチを繋ぐ。
  ズシッ!!
「う……おおお……お」
  ニュートラルの状態から3速ギアの抵抗が急激に加わる。
  ミジェットを押すぼくの腕に鈍い衝撃が走り、ずっしりとした抵抗がかかった。滑りそうになる足を懸命にグリップさせ、ぼくはなおもミジェットを押し続ける。
  
  プ……プスススススス。

  き、きた!
  強制的に圧縮がかかったシリンダー内でガスがくすぶる音だ。
  このままプラグに引火すればエンジンがかかる!

  ファイトォォォォォ…………いっぱあぁぁぁぁつ…………!

  リポビタンD男と化し、鬼の形相でミジェットを押す!  押す!!  押す!!!  押す!!!!

  ……が。

  プススススス……プス。

  エンジンがかからないまま、とうとう助走用の小道は終わった。
  しかしこのぐらいでメゲていてはエンスー失格である。
「よっしゃ、2本目いくぞッ!」

  ぬおおおおおおおおお!
  ズシッ!
  う……ぬおお……おおおっ……。
  プ……プススススス。
  ファイトォォォォォ…………いっぱあぁぁぁぁつ…………!
  プススススス……プス。

「まだまだ3本目ェッ!」

  ぬおおおおおおおおお!
  ズシッ!
  (以下略)

「くそったれめ4本目だぁッ!」

  ぬおおおおおおおおお!
  (以下略)

「ンハァハァハァ……5本目……」

  ぬおおおおおおおお(以下略)

「グハァハァ……アハァハァ……ろ、6本目……」

  ぬお(以下略)





  30分経過--。

  プススススス……プス。

  うーん……バタッ。
  
  エンジンはかからなかった。
  かかる気配すらなかった。
  30分にわたり、ぼくらは何度もミジェットを押し、また戻し、また押して、また戻し、そしてまた押した。何度もリポビタン化した。
  なのにミジェットはまったくの無反応だった。
「どうだミジェット!?  かかるか!?  いけそうか!?」
  と必死の形相でがんばってるのだから、ミジェットも、
「あっ!?  いまかかりそうだったよ!  もうちょっと押して!  ほら来たよ来た来たプスプスプッスンヴォスッ……ああだめだ!  ごめんなさい!」
  などとそれなりに手応えのあるキャッチボールをしてくれてもいいものだが、しかしあくまで無情にも沈黙を続けていたのである。
  梅雨とはいってもかなり暑い。
  ぼくも彼女も息ぜいぜい汗ぼたぼたのズルボタハァハァ状態で、とうとうアスファルトにへたり込んでしまった。
  喉の奥が痛く、頭がクラクラする。

「こうなればハァハァあの手しかァハァハァ残ってハァない……」



  トゥルルルルルルガチャ。
「もしもしJAFですか。あのう、ちょっとエンジンがかかんないんですが……」



  20分ぐらいでJAFのトラックがやってきた。
「どうされましたか?」
  JAFの兄ちゃんは爽やかな笑顔をふりまきつつトラックからシュタッと降り立ったが、汗だくズルボタ状態のぼくらと、そしてその横に鎮座する怪しげなオープンカーを確認するやいなや笑顔をひきつらせた。
  症状をひと通り説明すると、兄ちゃんはテスター片手に電気系をチェックしはじめた。
  ひきつりながらも爽やかな笑顔を浮かべていた兄ちゃんの表情が、たちまち曇っていく。
「おかしいなあ……。なんだろう……?」
  首を傾げつつ、さらになにやらプロフェッショナルな道具をトラックから持ち出し、それらを駆使してミジェットを調べ続ける兄ちゃん。
  しかしいくら調べたところで原因は究明されなかった。
  それはつまりエンジンはかからない、という事態を示していた。

  押しがけ、玉砕。
  JAFの兄ちゃん、お手上げ。
  となると、これはもしかして牽引か……。

  お金おろしといてよかった、などとひとまずホッとしつつも暗澹たる思いに沈んでいたそのとき……。
  エンジンを眺めていた兄ちゃんの視線がハタと止まった。

「もしかしてコレですかねえ……」

  兄ちゃんが、とある一点を指し示す。
  1本のボルトだ。
  エンジンとキャブレターをつなぐインテークマニホールドにポツンと突き出た、哺乳ビンの先っぽのような形をした変な六角ボルトである。
  さわるとグラグラ動いた。
  兄ちゃんは首を傾げながら、そのボルトをレンチできつく締め直した。
  とりあえず半信半疑にイグニッションキーをひねってみる。

  クーキュキュキュオヴォロロオン!

  は!?

  ミジェットは何事もなかったかのように目覚めた。

  ぼくも、彼女も、そしてJAFの兄ちゃんも、しばらくその場に立ち尽くしていた。
  そんなぼくらを横目に、ミジェットは「ドッヴォヴォヴォヴォ……」とアイドリング状態に落ち着いていった。

「いったいなんだっつーの!?」

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